BONUS

イラスト:新井祥

第3回「超連結クリエイション」
BONUSから考える障害者とダンサーの協働
寄稿:古後奈緒子
「個性派たちが調子をはずして歌えば/非障害者たちの問題があぶりだされます」
(クリストフ・シュリンゲンジーフ監督『フリークスターズ3000』前口上より)

コンテンポラリー・ダンスの問題とBONUSへの関心

ダンスやパフォーマンスをとおして、体の見方を複数の目で考える。コンテンポラリー・ダンスや現代のパフォーマンスに育まれた筆者の関心は、年とともにそのあたりをめぐってきた。伝統的な様式によらない個人の表現は、一般的な身体イメージを異化し見る者をざわつかせることがあるが、そんな承認リスクをおかしたパフォーマンスが、人々のあいだに物の見方を問い直す場をひらく。そのような公共性の理念を担う劇場や、劇場外にダンスのひらく場がやせ細ってゆくと危機感を抱いていた頃、BONUSの企画をwebで知った。興味を持ったのは、研究者がアーティストと意見交換しながらダンスを開発するというコンセプトと、ダンスへのまなざしを耕すことが期待される「アーカイヴ」や「映像」を、誰もがアクセスできるように整えていた点だ。ちょうど、どこの劇場に行ってもグローバルな流通網の価値観に覆われているような気がしていた時期でもあり、webアーカイヴを最終的な発表形態とすることや、ビデオダンスに多様な見方を提示するテクストが添えられていることなど、芸術制度の中で居ついてしまったダンスへの構えを揺さぶろうという気概を感じた。

このオルタナティブなダンスのチャンネルに、障害者とダンスについてのアーカイヴが加わる。このチャレンジングな組み合わせにどのような可能性が見えたのか、第三回連結クリエイションのプラットフォームから考えてみたい。

「あいだ」における動きの"態"

発表に足を運ばれた方、webで記録映像を見られた方は、「障害」と「ダンス」のどちらに関心があったのだろう。いずれが入り口であっても、三者三様の障害のあり方と、その個性に応じた三通りのダンスの取り組みを見て、ものの見方が変わるのを体験されたことと思う。その変化を言葉で吟味し深めようとする際、鍵となる概念の指し示す先は、個別と一般の間で、また言葉を用いる者の当事者性の度合いによって大きく振れる。一つ一つの発表もユニークで、機会があれば映像記録をいろんな人と見て考えてゆきたいところだが、さしあたりこの文章では、障害者とダンスをつくる課題に取り組んだ3人のアーティストたちが、奇しくもとった共通するアプローチについてまとめてみたい。

そのため、砂連尾氏と熊谷氏の発表を例に、筆者の視線の変化をたどることから始めたい。RAMのセンサーを装着した二人のやりとりは、実験のようで興味深かったが、最初はある種の居心地の悪さもあった。それはおそらく、身体に注視させる職能を持つダンサーと身体機能の障害を持つ者がともに動こう(踊ろう)としているのを、筆者が舞台芸術の枠組みを引きずって見ていたことによる。これまで障害者が踊る公演はかなり見て来たが、今回は障害者が登壇に積極的とはいえ、舞踊研究者やダンサーがホストとなる場のゲストである。冒頭ではこのような関係の非対称性が気になり、砂連尾氏が熊谷氏に合わせつつリードしているかのように見えはらはらした。だがこの序列意識の染みこんだ読みは、熊谷氏が口を開くや覆され、解消されてゆく。

熊谷氏の著作を読まれた方ならご存じのとおり、氏が介護やリハビリの体験を通して重ねてきた考察は、当事者研究という画期的なアプローチにより、身体の希有な現象を開示している。その記述からは、自分の体を意のままにできることを当たり前と思っている非障害者が意識し得ない、脅威の運動世界が垣間見える。この日もRAM画像の調整段階で人と動く際の重心の「補完」現象に触れ、ご自身とさまざまな対象を「同化」と「操作」あるいは「問いかけ」のモードで関係づけ、接触面では相手の情報を「与える」のと「とりにいく」割合、その際の意識を「増やす」か「減らす」かに配慮し・・・・・・と、実際の動きとRAMの間で目を泳がせても見えてこなかった、無数の関係項との力のせめぎ合いがあることが伝わってくる。そのうち、動き方とその見え方いずれにおいても健常者と障害者の関係が反転するだけでなく、不思議にも二人がとても似通ったモードで動いているように見えてきた。視線の焦点のシフトから、運動能力の差や覇権争いとは別次元の関係が開けてきたのだ。

「他者性」を自らの身で咀嚼する

麻痺やダンス経験の有無により、全く違うしくみのはずの二人の動きが、似て見えるとはどういうことか。大づかみな共通点は、「あいだ」で動いていることに求められるだろう。実際、先に拾った言葉からは、二人の動きが複数の関係項--自分の身体、RAM映像の身体、それらと連動する脳内イメージの身体、相手の身体、そしておそらくは観客ら他者の視線(内面化された規範イメージ)など--と同時にいくつもの綱引きをするように探られていることがうかがえる。これを、例えば表現に没頭しているソロダンサーの動きと引き比べてみれば、障害をとおして自他の身体を動かすことに精通したエキスパートと、他者との交通を志向してきたダンサーの運動モードが似ていても不思議はない。

さらに面白かったのは、熊谷氏が個別の関係においても「あいだ」で状況を計るようなところだ。あるいはそれは、「自信満々な介護者」の例と対置された(と思われる)砂連尾氏とのコンタクトが、主客の偏りなく持続したことの反映だろうか。そのような状態の両端に措かれる概念が、区別のための二項対立ではなく、度合いを測るのにいい極性連関で表されるのも、他者との協働に際してよりよい地点をめざす知恵と見える。働きかける相手に対し主体然と振る舞うことを交わすような姿勢は、例えばRAMの画像を動かす協働作業が滞った際、意識をはずす先として呼ばれた対象への「問いかける」にも表れている。ある物を例に同様の関係を結ぼうとするエピソードを聞くに至っては、即興ダンスで植物や蛙と好んで交通する砂連尾氏との親近性を疑う理由はなくなった。ということは、熊谷氏の内観をガイドに、私たちは表現ではなく関係志向のダンサーの世界にも、近づくことができたのだ。

複数の関係を同時に維持し、個別の相手を客体化しない知恵は、そもそもは目的への意識が筋肉の緊張につながるという、熊谷氏に固有の障害に由来するのではあろう。だがそれが他者との相互的な交通を開くきっかけとなる「障害」ならば、個別で特殊なものにとどめておく必要はない。自分の身体なのに「思い通りにならない」部分と捉え直すと、そのような関係の回路は誰でも一つや二つあるだろうし、病気や老いとともに遅かれ早かれ訪れる。また他人から積極的に借りたっていいだろう。このように障害を、内なる他者性と一般化して自分のものにしてみてはどうだろう。それが、熊谷氏の中に入ろうとした砂連尾氏のみならず、ままならない自意識を出発点とした野上氏、ホームレスの動きを自らなぞってみせた塚原氏に、共通するアプローチだ。実際、都市の論理を逸脱したマッドな動きと、業績スポーツの効率化された身体秩序をミックスしながら、塚原氏は観客にもやってみることを勧めてくれたのだが、フラットな会場設営だったら(スケジュール的に無理だったとのこと)何人の観客がこれに続いたことだろう。

舞踊史におけるエイリアン・ボディ

興味深いことに、自身の内に他者性を見いだし、なんとなれば他人からわざわざ取り込もうとする試みは、モダンダンス以降のダンサーが結構やっている。この企画途上でも熊谷氏と舞踏ダンサーとのセッションが試みられていたが、主催者の見立てどおり、身体技法における規範性への批判的取り組みという点で、暗黒舞踏は重要な参照点であっただろう。また、コレオグラフィーを身体への情報の入出力とみなし、その回路に偶然性や人が制御しない論理を組み込む試みは枚挙に暇がない。今回セッションに用いられたRAMも、フィードバック・プロセスにおけるアルゴリズムの導入例の先駆であるInprovisation Technologiesというシステムの延長に捉えられる。ダンスは、規範的な身体ばかりを参照してきたわけではないのだ。

視野を広げて社会における他者の「表象」に目を向ければ、古今東西のスペクタクルにマイノリティやアウトサイダーが人気者として登場するが、それは舞台舞踊の近代化の過程で大きく位階を変えている。とりわけ19世紀のバレエ客を魅了したエイリアン・ボディは、20世紀に入ると地域性や帰属に絡む「外部」や「周縁」といった極性がはずれ、ダンス技術の発展の歴史における新規なものとして自立する。同時に作り手の側では表象の背後にある演じ手の分裂や内なる衝動に真剣に取り組む試みが始まったが、このあたりから、踊る身体と観客がそれに注ぐ視線の乖離は深まり、今ではスキャンダルも起こさないほど決定的となっている。そうした受け入れられにくい表現を追求するダンサーたちは、観客に対しても空間の主権や評価の帰せられる表現主体として姿を現すので、鑑賞の焦点をリアルな関係の中で揺れる現象に向けにくいのではないだろうか。障害者が主体となって行うダンス公演が、障害者というアイデンティティや社会におけるマイノリティの表象として理解されがちなのも、同様のコミュニケーションのあり方によると考えられる。それに対し、BONUSにおけるダンサーの障害者との取り組みは、両者の間の役割が判然としないことで、鑑賞者の構えを揺さぶる余地をなにがしか残していると考えられる。

芸術がひらく公共圏の問題と「境界領域」の開き方/閉じ方

以上のような成果を社会の中で共有してゆこうとする際に、改めて考えておきたいのは、場をどのように設定するかということである。今回、野上氏が会場での報告に留めると判断したことは重要で、つくることとは別に、成果を公開する際にはその枠組みとアクセシビリティの設定などに慎重な配慮が必要だ。今回は出会いと議論を重視する「プラットフォーム」であることをめざし、実験的セッション、プロセスの報告、パフォーマンスといった発表形態も、それらへの障害者の協力のかたちとあわせて個別に配慮されていた。一方で、企画全体が一種のアーティスティック・リサーチとして、芸術と学術研究の文脈に置かれていること、そして演者の身体に注目を集めるダンスのプロジェクトということもあり、アートが社会のマイノリティや弱者など、傷つけられやすいアイデンティティを持つ人々と協働しようとする際の問題点についても、考える機会となった。

まず芸術制度の構造的な問題を押さえておくと、そこでの成果は第一義的にアーティストに帰せられるのに対し、協力者への還元はおざなりにされ、公開に際して不利益を被る場合もある。というのも作品に連なる制作空間においては、協力者のマイノリティとしての属性が前景化され、それに合わせた振る舞いを繰り返すことが求められるが、彼の属性や行為の意味づけは、演出権を持つ作家が掌握しているからだ。さらに、そうしてしばしばマジョリティによって設定される物語や意味体系の中で、協力者として顔をはじめとする個人情報を公にすることは、アイデンティティをめぐる係争に巻き込まれる可能性を高めるからだ。ダンスやパフォーマンスにおいては、公開されるのが顔を含む私的な部分で、さらに身体に注目が集まる。その際、観客の視線との間には、向こうからは見られているがこちらは誰が見ているのか分からないといった、非対称な関係が横たわっている。

筆者は、芸術は、社会から抜きんでた個人だけでなく、疎外され排除される個人に表現の機会を与える制度だと考え、そのような機会を積極的に捉えてきた。だが、芸術制度において非対称な関係が連鎖する傾向があるなら、そうして維持されてきた公共圏を守ってゆくことや、グローバル市場との接続にこだわる必要はない。むしろ協力者が安心できる場所、親密圏に芸術家が赴き、他者との接触の場を開いてゆくといった発想が必要なのではないか。そのような他者との境界をほどほどに閉じつつひらいた関係を、ダンサーが他者と築いてゆけるとき、アウトサイダーやマイノリティとしての連帯を越えた協働の可能性が見いだせるのではないだろうか。

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