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画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=4hyPhI_OKK4

現在のダンスの環境を考える
ジャーナリズム
コンテンポラリーダンスの「機能低下」を
乗り越えるために
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性
文・萩原雄太

トヨタコレオグラフィーアワード(以下、TCA)は、2002年の創設以降、今年で9回目の開催となる。「ジャンルやキャリアを超えたオリジナリティ溢れる次代のダンスを対象」としながら、振付家のステップアップを支援しており、今回は8月3日に開催される最終審査会に、203件の応募者の中から選ばれた川村美紀子、木村玲奈、スズキ拓朗、塚原悠也、捩子ぴじん、乗松薫という6人のファイナリストが出場する。

TCAは、コンテンポラリーダンスに限定されるものではなく、あらゆるダンスのジャンルに開かれたアワードだ。しかし、実質的にはコンテンポラリーダンスにおける不可欠なインフラとなっており、このシーンを象徴する活動を行ってきた。今回は、その歴史を振り返ると同時に、TCAが伴走した12年間に、コンテンポラリーダンスがいったいどのような変化を遂げてきたのかを見ていこう。

枠組みすら不明確だった90年代末

本媒体のディレクターである木村覚氏は、2009年のダンスシーンを回顧する記事で下記のように記している。

「『コンテンポラリーダンス』という語の機能低下──2009年を振り返ってみてもっとも象徴的な出来事は何かと問われれば、この事態をぼくはあげるだろう」(シアターアーツ 2010年春号)

そんな宣言から5年。「コンテンポラリーダンスという語の機能低下」、さらに言うならば「コンテンポラリーダンスの機能低下」はますます加速しているように思われる。では、いったいどうして「機能低下」を起こしてしまったのだろうか? まずは、コンテンポラリーダンスの機能が低下していなかった時代、2002年のTCA初開催時の状況を振り返ってみよう。

2002年、第1回目のTCAが開催された時、コンテンポラリーダンスのシーンは現在とは全く違うものだった。1990年代末から、伊藤キム、大島早紀子、笠井叡、イデビアン・クルーなどを中心として盛り上がりを見せていた日本のダンスシーン。当時は、まだ「コンテンポラリーダンス」という言葉も定着しておらず、枠組みすらも明確ではなかった。1998年から愛知県芸術劇場において「コンテンポラリーダンス・シリーズ」と銘打ってレニ・バッソ、珍しいキノコ舞踊団、山崎広太など数々の新たなダンサーたちを紹介してきた唐津絵理氏はこう語る。

「今までの現代舞踊、バレエ、舞踏とも明らかに違うオリジナリティの高い強い表現が数多く生まれていたし、今までと違うことをしようという熱意がすごかった。そんな多様な表現を『コンテンポラリーダンス』という名前で一括りにすべきかどうかも判断がつかなかったほどです。ようやく98年ごろから、勢いにふさわしい形でこの名前が使えるのではないかと感じ『コンテンポラリーダンスシリーズ』を立ち上げました」

90年代末〜2000年にかけてはこの他にも、「パークタワー・ネクストダンス・フェスティバル」や「バニョレ国際振付コンクール・ジャパン・プラットフォーム」などが開催されており、JCDN(ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク)が正式に発足したのも2001年。90年代を通して独自の進化を続けてきた「コンテンポラリーダンス」というムーブメントが、ようやく日の目を見はじめていた時代だった。

そんな時期にTCAが登場した。

それまで、トヨタではさまざまなダンス公演に「協賛」という形で携わっていたが、この時から、アワードとして振付家を顕彰する方向に切り替えた。立ち上げから現在まで事務局長としてTCAに関わり続けている高樹光一郎氏はこう振り返る。

「広く協賛をするという方向から、公募・審査することで、支援のための一定の基準ができ、協賛とは違う形でダンスの活性化に繋がるという考えから、TCAが設立されました」

その審査においては、審査委員長の天児牛大(山海塾)氏を中心に、当初力を入れていた「国際的な視野による審査」(トヨタ自動車プレスリリースより)を実現するため欧米の劇場ディレクターらを「審査委員」として招聘。あわせて、2002年の第1回目には、アワードの提携先である世田谷パブリックシアターの楫屋一之氏をはじめ 、前出の唐津氏や吾妻橋ダンスクロッシングキュレーターであり、ダンス批評家の桜井圭介氏らプロデューサー・批評家で構成する「ファイナリスト選考委員」によりファイナリストの選考が行われていた。天児氏を審査委員長にした形は2005年まで、欧米人を選考委員に入れる形は人を変えて2008年まで継続される。

「審査委員長には日本におけるダンスの第一人者ということを考え、天児さんを選びました。海外の審査委員に参加してもらうことについては、受賞者の活動が海外にもつながっていくような形を意図していたんです」(高樹氏)

ムーブメントの到来と変化

加速する勢いをばねに、2000年代前半から中盤にかけて、日本のコンテンポラリーダンスシーンの盛り上がりはピークを迎えた。

2005年、『美術手帖』(美術出版社)12月号では「dance?? dance!? DANCE!! ポップ&アナーキーな革命前夜!?」として康本雅子を表紙とした特集を組み、『現代詩手帖』(思潮社)3月号でも「身体のポエジー──コンテンポラリーダンスの現在」という特集を組んでいる。美術や文学といった他のジャンルも、新たなタイプのダンスが盛り上がっている状況を無視できなくなっていったのだ。2004年から始まった「吾妻橋ダンスクロッシング」は桜井氏によれば「ダンス以外の客層に向けたイベント」というコンセプトを念頭に置き、ダンサーの他にもチェルフィッチュ、地点、鉄割アルバトロスケットなどの演劇団体や泉太郎、 Chim↑Pom、宇治野宗輝などの美術作家も積極的に紹介していった。従来の「ダンス」の枠組みを越境しながら、2000年代のコンテンポラリーダンスシーンはそのプレゼンスを高めていった。

けれども、その盛り上がりは、同時に「コンテンポラリーダンス」というジャンルの確立をも意味することとなる。実は、唐津氏が企画していた「コンテンポラリーダンス・シリーズ」は2004年を最後に終了。その後も、コンテンポラリーダンスに分類されるアーティストの公演を企画しながらも、この名前を使うことは避けるようになっていった。

「2004年頃になると、『コンテンポラリーダンスとは』という業界内の認識ができていったんです。作品を提供する側としては、ジャンルの枠内に留まりながら、共通了解としての『コンテンポラリーダンス』を見せたくなかった。それよりも、『何だかよくわからない』『けれどもダンスである』というニュートラルな形で作品を提示することで、ダンスの多様性を見てほしいと思っていたんです」(唐津氏)

ジャンルが確立してしまうことによって、強固な枠組みが規定されていく。それは、ダンスに限らずさまざまな表現活動においても見られる動きだろう。2000年代中盤以降、徐々にシーンの勢いは失われていき、2009年には冒頭にあるような「機能低下」に陥っていったのだ。

では、このようなダンスシーンの動きに対して、TCAはどのように反応していったのだろうか?

2006年の開催から、それまで毎年開催していたアワードを見直し、隔年での開催に変更。2010年からは、それまで一貫してこだわってきた「国際的な視野」という文字は消え、国内の公共ホールや美術館、フェスティバルディレクターなどを審査委員に据えた現在の形に落ち着いている。

「公演の場所を持っている人ならば、面白いアーティストがいれば『来年やりましょう』という話になりやすい。公演という形ではなくても、共同制作やワークショップといったチャンスが広がります。そういった方を集めたほうが次に繋がりやすいという意図で各劇場のプロデューサーに審査委員をお願いしました。TCAが目指すのは、振付家が次に繋がるためのきっかけづくりなんです」(高樹氏)

TCAは、受賞の“次”として、より具体的な上演可能性に焦点を絞り、作品が多くの人の目にさらされる方向を選択した。これにより、鈴木ユキオや古家優里(プロジェクト大山)、関かおりなど2008年以降の受賞者は、金沢21世紀美術館や高知県立美術館で公演を行う機会を得ている。

ただし、審査委員の顔ぶれは変わっても、審査の方向性はあまり変わっていないようだ。

2002年から隔年で4回にわたってファイナリスト選考を行った桜井氏は、審査の基準についてこう語る。

「さまざまなジャンルのダンスから200組ほどの応募があり、そこから8組を選んでいきました。ファイナリストを選考するにあたっては、表現の新しさ、画期性という点をとても大事にしましたね」

桜井氏が携わったのはファイナリスト選考のみだが、最終審査の様子についても、このように言及している。

「特に天児さんは、振付の賞でありパフォーマンスに与える賞ではないということを厳密に考えていました。例えば、第1回目の時、手塚夏子の上演に対して審査員たちの評価はそれなりにあった。けれど、はたしてこれはコレオグラフと言えるのか? その部分が問題とされたんです」

当時はファイナリスト選考と最終審査は別の人間が務めていたが、現在では、ファイナリスト選考も最終審査も同じ審査委員によって行われている。選考委員がすべての応募ビデオを見て、2日間の時間をかけてファイナリストを決定した後、上演による最終審査を実施しグランプリである「次代を担う振付賞」を決定する仕組みだ。2012年に審査をした国際舞台芸術交流センター理事長の丸岡ひろみ氏は、こう振り返る。

「この際には、事務局側から、『振付賞』であるということ、そして『次代を担う』賞であることを強調されました。ただ、『振付』や『次代』の定義については、事務局から押し付けられるのではなく、審査委員の中で話し合いながら定義を考えていきました」

一言で「振付」といってもその定義は難しく、腕の上げ下げや、ステップの運びなどを決定する旧来の「振付」にはとどまらない作品が特にコンテンポラリーダンスの世界では多くなっている。例えば、SNSを中心に話題となったウィリアム・フォーサイスの作品「Everywhere and Nowhere at the Same Time No. 2」は、天井から吊られた振り子の間を、参加者がぶつからないように通過することによって、誰もが自然にダンスを踊れてしまうという「振付」が施されている。TCAでも当初から議題とされてきた「振付」の考え方について、いまだ明確な答えは出ていない。

人によってまちまち、審査委員によってまちまちな「振付」という概念を、TCAでは審査委員たちそれぞれの視点からあぶりだしている。つまり、それぞれの審査委員たちが何を「振付」と考えるかによって結果は異なり、厳密な意味での客観性は担保し得ないのだ。高樹氏も「審査委員はそれぞれ『振付』における概念をもっており、その中でお互いの共通項を見出しながら意見を戦わせる。そのため、様々な評価の仕方で論議された後に決定されるファイナリストは、ひとつの基準によって選ばれるようなベスト6とは異なる」と話している。

TCAが秘めるもうひとつの可能性

であるならば、TCAの意味とはいったいどのようなものなのだろうか?

現在、TCAは「次代の振付家を顕彰する」という意味でとても重要なポジションを獲得している。だが、上記のような振付の多様性を考えるならば、そして、『機能低下』を踏まえるならば、それ以上に「現代の『振付』とは『ダンス』とは何かを発信していく」役割も求められているのではないか。そのためには、個々の振付家を顕彰するだけでなく「なぜその振付が優れているか」を伝えていかなければならない。だが、現在、TCAから、あるいはその審査委員から選考過程における選評や講評は出されておらず、事務局としても後ろ向きだ。

「選考の過程は文字にしてしまうと、間違って解釈されてしまうくらい繊細なものであり、選評を言語化するというのはとても難しいんです。それに、集団での討議ということで、素直に個々の意見が反映されるというものでもありません」(高樹氏)

また、唐津氏は、「選評を出した方がいい」という前提に立ちながらも、以下のようなダンス界における慣習を語った。

「演劇や美術では、選評を出したり公開審査を行ったりという形もありますが、バレエや現代舞踊でも、ダンス業界においては審査過程を公開することは少ない。必ずしも論理的に詰めて作品を評価するだけではないし、身体感覚をもとに優劣を決める人も少なくないことが影響しているでしょうね。どちらかというと、『公開した方がいい』という声は演劇や美術の方面から聞かれるように思います」

だが、公共による助成金制度が確立し、劇場プロデューサーにも、理念やミッションなどに基づき「どうしてこのプログラムを上演するのか」というアカウンタビリティが求められる現代。「なぜこれに価値があるのか」「どうしてこれを評価するのか」について、プロデューサーたちは彼らなりの言葉を持っているはずだ。

そして、そのような言葉を流通させ、議論の俎上に乗せることは、コンテンポラリーダンスそのものの存在意義にとっても欠かせないものであるはず。2002年に「次代を担う振付家賞」を受賞した砂連尾理氏は、今年ゲスト審査委員としてTCAに関わる意義をこう力説する。

「コンテンポラリーダンスは、多様な意見がなくなった時『古典』にならざるを得なくなってしまいます。常に新しい視点を加えていくことで、まとまりにくくなり、議論にかける時間はより多くなってしまいますが、そんな効率の悪さを引き受けていかなければ、残るのはコンサバでマッチョな表現だけになるのではないでしょうか。今回、審査するにあたっては、この賞がTCAで完結するのではなく、より多くの人にダンスについての議論が開かれ、TCA以降のシーンを思考していく場になればいいなと考えています」

そもそも、コンテンポラリーダンスは特定の形が存在しないものだった。コンセプト、身体への眼差し、そして、具体的な動き、さまざまな要素を駆使しながら、振付家たちはオリジナルな作品を構築してきた。玉石混交、トライアルアンドエラーを繰り返しながら、「コンテンポラリーダンス」というジャンルは少しずつ積み上げられていったのだ。現在のTCAのように、その多様性な世界から、「価値」を拾い上げることも重要な仕事ではあるものの、なぜそれが価値を持つかについての思考が抜け落ちてしまうなら、それはただの「賞レース」に堕してしまうのではないか。コンテンポラリーダンスが社会に定着し、ある種のステイタスを確保している現在、求められるのは、誰が顕彰されたかという結果ではなく、どのような思想に基づいて身体が表現されているのか、どのような視点から時代を切り取っているのかといったプロセスに対しての議論だろう。

2000年代のダンス活性化の一因は、現代詩手帖や美術手帖などの他ジャンルからダンスに向ける眼差しがあったことに起因していた。文学にも美術にも接続しうる「現代の身体」が存在していたからこそ、彼らもコンテンポラリーダンスに目を向けざるを得なかったのだ。しかし、ジャンルとして定着し、固定化されつつあるジャンルとしてのコンテンポラリーダンスに、その開放感は感じられない。ダンスがもっと自由になるためには、もう一度「ダンスとは何か」「身体とは何か」を真摯に見つめ直していく必要があるだろう。TCAは、ネームバリューとしても、注目度としても、そんな議論を巻き起こす可能性を秘めた唯一のステージなのではないだろうか。

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