BONUS

現在のダンスの環境を考える
ジャーナリズム
田中真実さんと仙台で考える、
障害者と共生するダンス公演のこと
すんぷちょ(西海石みかさ)『ひゃくねんモンスター』をめぐって
+付録:STスポットの小川智紀さんに『ひゃくねんモンスター』について話を聞いた。

STスポット横浜の田中真実さんと考える第2弾は、仙台に出張しました! すんぷちょを2008年に設立し、3年かけて上演を続けてきた『ひゃくねんモンスター』の最新版を今年3月に発表した西海石みかささん。田中さんとぼくは西海石さんの話がかねてより聞きたかったのでした。というのも、第1弾では勉強会に参加してくださり、お話もしてくださっていたにもかかわらず、西海石さんのことには触れることが出来なかったからです。あの日も面白い話が沢山聞けたのですが、今回はそのときの内容を繰り返すというよりは、『ひゃくねんモンスター』という作品を話題の中心に据えてインタビューをしました。以下にまとめたのは、そのときの抜粋です。本文でもそう発言していますが、未来のダンスへ向けたヒントが沢山こぼれていると思いますよ。

木村覚


すんぷちょ『ひゃくねんモンスター』BONUSダイジェスト版


木村
木村

今日はどうぞよろしくお願いいたします。

西海石

よろしくお願いします。

木村

すんぷちょの新作公演『ひゃくねんモンスター』DVDをお借りして拝見してきました。西海石さんが今作でとくに重要視した点というのは、どういったところだったのですか?

シンプルな振り付けのルーツ

西海石

入りにくいところにドキドキしながら入るという経験は、ひとにとって大事なんじゃないかなって思っています。芸術とは多くの場合、そういうものかもしれません。でも、すんぷちょの使命としては、入りにくいとあらかじめ思ってしまっている人に、少しでも入り口のところをオープンにして、「関係ない」って思っている人が、いや実はそうでもないという風に思ってもらいたいというのが、大きいんですよね。そのことでは、障害のある人とか、子どもたちとか、健常者とかが互いを理解するときというのも、同じことが言えるのではないかと思うんです。専門性をもって押し進めることが良い場合もあるでしょうし、でも、「意外にしゃべってみると楽しいじゃない?」っていう素朴な理解というか、それが広がるということも同時に必要でしょう。そういうことがやりたいんです。

木村

まず、その入りやすさの話をしてみたいです。『ひゃくねんモンスター』を拝見して一番強く思ったのが振り付けのことで、シンプルだなと思ったんですね。シンプルななかにちゃんと伝えたいことが込められていると感じました。それを小難しくすることは作家という者は誰でもすると思うんです。「こうではなく、こうだ」と自分のセンスを先鋭化させていく、でもそうするとどんどんできる人が減っていってしまう。この人でしか踊れないっていう話になっていく。もちろん、それはそれで、芸術がその頂点を目指すという意味では、求められるベクトルなのかもしれません。でも、すべての人が頂点を極めなければいけないというものでもないはずです。シンプルであるということが、以上述べたことを踏まえた、「計られたアイディア」のように見えたんですね。その辺りのことをまずうかがいたいのですが。誰もが入れる踊りで、でも踊ったり踊りを見ることで(踊ったり見たりしている人のなかに)変容を起こしたい、西海石さんの試みはぼくにはそういうものとして映りました。どうですか?

西海石

はい、だいたい合っていると思います。私元々のバックグラウンドは、民俗芸能の取材をしていたんですね。修士論文のテーマがそれだったんです。

田中

知らなかった!

木村

修論のフルタイトル覚えてますか?

西海石

えー、だって何年前? 「民族舞踊を素材とする舞踊の教材づくり論」だったかな……。

木村

どこの地域を取材していたんですか?

西海石

青森県の荒馬っていう虫追いの行事で、馬の格好をして、隊列組んで道を歩いていく。角になるとそこでひと踊りして、また歩いていくっていうお祭りがあるんです。荒馬自体は、荒馬座とか専門の歌舞団が取り上げていて、それが教育や保育の現場にひろがっていたのですが、現地のものを取材していたんです。歌舞団の方と現地の方とがどう違うか、あと、現地の方の踊りがそれ以外のひとにも伝えるべきどのようなエッセンスを含んでいるのか、そういうことが修士論文の主題だったんです。

木村

面白いです! とても現代的ですよね。かつて90年代頃にエスニックブームとかワールドミュージックブームってありましたけれど、そういうものが閉じる傾向で「俺たちにしか分からない」とか「お前らには分からない」とかいうよりは、むしろ開く方向が目立っていました。伝統的にやっていたことを部分的に止めていくというか、ちょっと違う形にアレンジすると思うんですよね。それを「正統ではない」と批判するひともいるでしょうけれども、そこから新しい文化が生まれもするわけです。そういうところに着眼した、ということですよね。

西海石

まったくその通りです。小学校教員だったから当たり前なんですけれどね、そのもとの民俗芸能のかたちをそのままそっくりやるのが違う土地の子どもたちにとって意味があるのかっていうことは、考えたんですよね。教員だから異動もありますしね。等しく子どもたちに伝えるべき中身っていうのはあるだろう、あとはそれぞれで自由にしていい部分というものがあるし、でも、ここだけはっていうところがあるはずで、そのことが修論で扱ったことです。

田中

小学校の運動会で、ソーラン節だとかある学年が必ず取り組む演目ってありますよね。なんで同じ踊りが続いているのかよくわからないところもあるんですが、曲と振り付けが決まっていて、先生が教えやすいのでしょう。ただ、そういう状況だと、いま、みかささんが話してくれたような視点が欠けてしまうことになります。疑問には感じていらっしゃると思うんですが、なかなか調べられないというところもあると思います。本当は、その踊りのもとになっている土地のことを知ることは大事ですよね。

民俗芸能の即興性、個性を表現する余地

西海石

民俗芸能について、私が面白いと思っていたことは、ひとつの順序を覚えればよいと思われがちなんですけれど、そこには即興性が随分あるんですよ、土地のものには。

木村

面白いなあ。だって、代が替われば踊り方変わりますよね(踊る人が変われば踊りが変わりますよね)。

西海石

そうなんです。誰かの癖をそうなんだと思って継承してしまう場合がありますよね。でも、芯になるのは何なのかっていうのを私は掴まえたいと思っていて。

木村

この踊りが持っているエッセンスももちろん大事だし、でも、踊りはバトンタッチされれば、自ずと変化もしていく。それも無視できない。

西海石

ルーマニアの踊りを大学の恩師、佐藤雅子先生と取材に行ったときのことなんですが、ルーマニアはいわゆるフォークダンスの宝庫で、昔からのダンスが伝承されて残っているんですが、日本でフォークダンスっていうと型があってその教えられた型をただやるだけみたいに思いがちなんですが、実際のルーマニアのダンスは違っていました。動きの基本的なステップは決まっているんだけれど、いつ男性が女性を回すかとか、ステップを変えていくタイミングとかっていうのは、男性が即興的に決めていくんですね。いかにコミュニケーションするかっていうのがダンス。

木村

そこで男は、男ぶりを発揮したりとか、やさしさを見せようとか、男性たちは考えるわけですね。

西海石

そういう目で日本の踊りを見てみると、荒馬はそれ(即興性)がすごくあったんですよね。男女で組になるんですよ。

木村

珍しいんじゃないですか?

西海石

そう。同じ距離を保ちながら、押してったり引いてったり、2人で回ったりっていうのがあって、面白いなあと。そして、振り付けってことでいうと単純ですよね、それは。

木村

すんぷちょも?

西海石

荒馬も。いまそういうところを学んで活かしているんだなあと。今気づいて言っているのだけれど。

木村

即興が個性を発揮する場だとすれば、考えようによっては身体上の個性とか、知的な障害があるとか、そういう個性もそこで「活きる」というか、そういう振り付けになっているということなのでしょうかね。

西海石

そうそう。

木村

そういう余地があるというか「伸びしろ」があるというか。

西海石

はいはい。

木村

そう思うと、修論という発端から今に至るまで貫かれた西海石さんのアイディアというものがあるように感じます。

田中

西海石さんのお話は、手塚夏子さんがSTスポットの民族芸能調査クラブで行っていることと近いような気がします。地域の芸能を習いに行って、採集して、それをどうにか習得するというよりも、芸能と自分のコンテンポラリーな課題とを重ねてみることの方に力点があります。公演や発表というよりも、実験してみるという姿勢が強い。若手の創作者・表現者も手塚さんの活動からすごくインスパイアされています。自分たちのルーツを確認をしたり、何が肝になっているのかをちゃんと受け止めて考察しておくことで、流行に振り回されることなく活動が続けられるのではないかと思います。すでにあるものと合わせることで、自分たちの足場を発見して行く、というアイディアが面白いですね。

木村

今日、自分たちは伝統から切りはなされてしまっているという感覚が振付家たちに共有されていると思います。だからこそ、もう一度自分たちにとって芯になるものを掴みたいと考えている、そういう背景が手塚夏子さんのSTスポットで行われている民俗芸能調査クラブにもあるかもしれませんが、そうした考えはコンテンポラリー・ダンスのひとつの地平なのだろうとぼくは捉えています。

西海石

面白いですね。そうやって、私のしてきたこととコンテンポラリー・ダンスが繋がるんですね。

ピナ・バウシュ以降の作品づくり

木村

あと、無理に引きつけるつもりではないのですが、例えば、ピナ・バウシュがシンプルな振り付けを作って踊り手たちが踊る、そこにはエリートのダンサーも加われば、素人みたいなひとも入れる。そうしたバウシュが試みた後のコンテンポラリーダンスのひとつのアイディアとなったその系譜に、西海石さんの「シンプル」さもあるように思うんです。シンプルなダンスがもっている力みたいなものを西海石さんの振り付けからも感じたんです。

西海石

ピナ・バウシュ大好きなんです。

木村

そうかなあと思いました。バウシュのファンは多いと思うんですが、このシンプルなダンスを作ったバウシュの力というものがもっと評価され、応用されてもいいと思うのですが、それほどではないように感じます。珍しいキノコ舞踊団はもちろん、そうしたシンプルなダンスの価値を広めているグループですし、ないとは思わないのですが、もっとあってもいいと思うんです。そうしたあるべきものが『ひゃくねんモンスター』のなかにあるように思いましたし、そこが障害をもつひとたちや、本当に赤ちゃんみたいな子どもが出ていたりとか、高齢の方が出ていたりとか、そうしたひとたちが渾然一体となった状態で、そこを束ねていく力としてシンプルな振り付けが置かれていたように感じたんです。

西海石

みんなを束ねる装置に振り付けがなるということは、民俗芸能を調べていると本当にそうで。

木村

それは本当にそうですよね。

西海石

ただそこを歩いているだけでもそうですし、そこにかけ声でも入ったとしたら……というのはありますよね。でも、あのシンプルな振り付けを作っているのは私じゃないんですよ。ワークショップとかで子どもがやっていることとか、誰かがやったことを「じゃあそれ、採用してみよう!」って。

木村

それこそ、ピナ・バウシュのしたことですよね。彼女自身が振りを与えるというよりは、ダンサーたちにワークショップ的にどんどん振りを発明させて、それを深めていって、そこから出てきたよい振りをさらに洗練させて、それらを連ねていくというのが、バウシュの振り付けなんです。

西海石

小学生が一番アイディアをいっぱい出してくるんです。「ゲームと稽古どっちがいい?」って聞くと「稽古!」っていうくらい、子どもたちが熱中しているんです。

大人数のスタッフが参加していることについて

木村

ああ、それは聞きたかったもう一つのことと関係するんですが、なんであんな風に沢山人が集まっているんですか? 一番驚いたのは生演奏のバンドがいることとか、10名以上のダンサーがいるとか、制作スタッフも結構多い。

西海石

今回の公演では、その準備の段階で毎週ワークショップをやっていて、誰でもどうぞ、公演に直接関わらなくてもどうぞ、1回だけでもどうぞ、っていうのをやって来たんです。「オドリノタネ」という会、踊りにならなくてもいいからたねだけでもいいから、やってみましょうという会でした。子どもたちは無料にしていたんですけれど、子連れのお母さん方が来てくれるようになって。子どもたち、ちっちゃくても、やんなくても、走り回っていても、とりあえず放牧しておきましょうって。大人が面白いことやっていると「何、何?」と子どももやってくる。

木村

それって、公演の状況と同じ。

西海石

まったく同じですよね。で、そういう方たちに出てみませんかと声をかけたんです。

木村

あああ、なるほど。

西海石

「オドリノタネ」については、素材は一応持っていくけれど、こちらの作ったダンスを踊ってもらうっていうのじゃないんですよ。子どもがふいにした面白い動作を観察したりとか、こちらが用意したものじゃなくて。さすがに舞台公演になると音響や照明が困ってしまうので、一応決めていくわけですが、そのための稽古も別にとりましたけれど、その稽古に参加してくれるかを「オドリノタネ」の参加者に募って、そうして出演者が決まりました。

観客あるいは客席という問題

木村

あと、私バリ島の芸能に興味をもっていて頻繁に行っていた時期があったんですが、バリ島の祭りでは、舞台上に野良犬が横切ったり、子どもたちが夜店で買ったレーザーポインターで赤い光を舞台に投げたりとか、まあ、雑多ないろいろなことが起きていて、そうしたことを包摂してしまう寛容さというのがあって、とても痛快な気持ちにもなったのですが、『ひゃくねんモンスター』の舞台というのはそうした状況と少し似ていて、出演者ではない赤ちゃんが舞台上をうろうろしたりとかしていましたよね。すべてのアートの場がやんちゃな子どもたちに開かれている必要はないけれども、そうした場の開かれ具合にもっと敏感な作家というものが出てきてもいいんじゃないかとは思っているんです。

西海石

私もバリ島は好きです。娯楽というよりはあの場は祈りの場ですよね、だからか、自分たちが予期していなかったことが起きても、それはそういうものなんだというかたちで寛容だったりしますよね。

田中

劇場のなかで舞台上と客席とが解離しているように思う時があります。舞台上は安全で守られていて、客席から石なんか投げ込まれないと。でも、本当はそんなことはないわけで、舞台と客席も安全な場所でないというか。見る側もある種エンターテインメントを望んでいるし、役者側もエンターテインメントをサーヴィスとして提供するものだと思っているところがある。だから根本が崩れてしまっているということがあるのではないでしょうか。芸術がサーヴィスになってしまっているわけですよね。そうではなくて、一緒にその場を作っているはずなわけで、その場をどう維持するかは、観客の力もすごく必要なはずなんです。もちろん、役者側の力も。ワークショップの場合もそうですよね。参加者が「サーヴィス」として受け取ってしまった瞬間に、能動的には何もしてくれないということになるんです。

西海石

そこは作品の作り方としてすごく考えているところです。足りてないかもしれませんが。見てくれる方が思いっきりがんばって脳内を働かせてもらって、作品を完成してもらうという点は大事にしていて、シンプルに振り付けるというのもそういう点かも知れません。演じている側が思っている以上に、見ている側の想像力を刺激していくので、いろいろなものを結びつけて感じとれるものにしていくことが大事だと思っていて。

田中

作り手は観客のことをもっと信頼してもいいんじゃないかなと思うんです。完成度の高い、余白のないものを渡されると、もう少し観客を信頼してもいいんじゃないかと感じることがあります。もちろん、そういう作品もあってもいいんですが。あと、子連れで公演を見に行こうとしてもなかなか見に行けないという状況があります。託児サーヴィスを調べて、予約してというハードルの高さを思ってくじけてしまうとか。そうしたことも、もうちょっと制作サイドが公演のデザインを考えていく必要があるのかなと思うんです。

西海石

子どもがうろうろしている舞台というのは、子どもたちが入って来ても大丈夫なように結構訓練してもらったんです。いないことにはしない、もちろんいる。そういうことって役者さんはやってきていなくて。

木村

そりゃあもちろん、そうしたこと役者さんたちは訓練してきてませんよね(笑)。

西海石

かつ、安全を確保する。それが見ているお客さんに安全だと思わせる。

木村

目を届かせつつ、できるだけ放っておくっていう感じでしたね。痛快でした。

西海石

大人の方が学ぶことがあるわけです。子どもとどう接するか。

木村

本当にそうですね。子どもとの接し方を学ぶ機会って社会にないですからね。

障害者を包摂する空間作り

田中

障害のある方についても同じことがいえると思います。慣れるということは大切だと思っています。例えば、電車のなかでブツブツいっている体格の良い男の人がいたとして、少し怖いなと感じないわけではないけれど、友だちに似たような人がいたり、知識として知っていたりすれば、怖くはなくなるわけです。電車に乗っているくらい(社会性があるの)だから大丈夫って判断がつくわけです。そうじゃなくて、いないことに、見えないことにしている空気感こそが怖いし、困っていたら声かければいいのにと思うんですよね。結局、声のかけ方が分からない、ということが問題だと感じています。

西海石

メディカルなケアが常時必要な方も観客として見に来てくれたんです。ベッドのような乗り物に乗って来て、あれスペースの用意がないぞと、こちらの意識の足りなさを気づかされたりもしました。私の息子がその日に観客として見に来ていたんですが、劇場というのはこういうひとと一緒に見ることが出来る場所なんだ、と彼がいったんですね。案外大丈夫な場所なんだって。

木村

これ、見に行こう!って思ってくれたことが大きいですよね。

西海石

そこはうちの制作スタッフを自慢したいんですけれど、仙台市内の障害者の施設を一軒一軒行って説明して回ったんです。

木村

素晴らしい。

西海石

結局使わなかったんですが、送迎サーヴィスも用意していました。移動の手段がなくて困るという人がいることは知っていたので、ボランティアを募って、送迎できるようにしていました。そういうサーヴィスもありますし、招待もします、有料にしても500円(入場料)ですっていって、説明していったんです。施設の方経由でご本人やご家族に説明があって、来てもらった、ということがありました。

木村

ようは声をかけさえすれば、そういうことは起こりうるんですよね。

西海石

はじめて分かりました。本当に。

木村

声をかけていないだけなんですよね。

西海石

声をかけてもらわないと行っていいと思えないです。悲しいことに、それは。それは普段の社会がそうした人たちを社会から切り離しているからです。彼らは劇場の公演に行っていいと思っていないんです。

木村

何かヒントをもらえた気がします。

田中

だから文化政策としてやるべきことはいっぱいあって、いくらでも声のかけ先はあるとは思います。まだまだやっていないことは沢山あるはずです。話は変わりますが、貧困という問題もその一つです。作品を高める努力も大事かもしれないけれど、外に目を向ければもっともっとやるべきことは見つかるはずだと思うんです。

西海石

「オドリノタネ」ってワークショップは、障害者の方の参加費は100円なんですけれど、ある方が律儀に連絡してくれて、「今日はすいません、100円が用意できなくて」といってきたことがありました。もちろんぜひ来てくださいっていったんですけれど。だからといってすべての障害者がそうだというわけではないんです。それぞれの事情があるところを、障害者とひとつにくくるのも難しいところがあります。


付録 STスポットの小川智紀さんに『ひゃくねんモンスター』について話を聞いた。

小川智紀さんは、2011年の3月(いわゆる「3.11」) 以降、仙台の演劇状況に関心をもち、その関心を発端に西海石みかささんとすんぷちょの活動をフォローし始めたひとり。ぼくや田中真実さんは、残念ながら『ひゃくねんモンスター』を見逃している。西海石さんの活動を取り上げるにあたり、それでは不十分だろうと2人とも思っていた。田中さんはぼくに同僚の小川さんは実際に何度か仙台に訪れており『ひゃくねんモンスター』も見ていると教えてくれた。小川さんならば、単なる個人の感想に留まらなることなく、STスポットでの活動ともリンクさせながらお話を聞かせてもらえるのだろう。そんな期待を胸に、STスポットの事務局に伺った。


小川

『ひゃくねんモンスター』見ました。もちろん、期待して見に行きましたし、感動もしましたが、批評的な言葉で語ることはできません。むしろ自分が西海石さんと出会い、その経過を含めて感じたことをベースにしてしか話せないような気がします。

木村

ぜひ、そのベースの話、聞かせてください。

小川

まず自分として、西海石さんのことは東日本大震災と切り離せないんですね。あの日はSTスポットもひどく揺れました。その直後「ぼくらに何か出来るか?」というより、ともかく不安であれこれ情報を集めていたんです。そのなかで、仙台の演劇人の動向に行きつきました。自分たちの地域をどうにかせねばと、3月の末に、演劇やアートの関係者たちが会議を開いていらした。彼らの活動を後ろから支えることは出来ないのかという気持ちで、フォローしていきました。その後、今日に至るまで、彼らのうちでもっとも継続的におつきあいの続いているひとりが西海石さんでした。当時は、仙台のArt Revival Connection TOHOKU(現:ARCT)という団体の「出前部」(被災地や仮設住宅へ芸術表現を「出前」する活動)の部長さんとして接していました。そして、10-BOXというスタジオ兼劇場があり、そこが5月に再開したときの最初の演目がすんぷちょの作品で、ディスコみたいな大音響のなかで踊りまくるなんてことをしていたんです。上演が終わったとき、みんなで「劇場に電気が戻ってよかったね!」と涙を流していたのが印象に残っています。

木村

なるほど。闇からの解放を全身で喜んだ、みたいな公演だったのでしょうか。

小川

その後、西海石さんは、100年に一度などと言われた大震災をテーマに『ひゃくねんモンスター』の構想を膨らませていったのでしょう。震災後新しく出来たホールがあり、『ひゃくねんモンスター』は、そこの恐らく目玉企画であり、ダンス・ファンだけでなく、いろいろなタイプのひとがフラットに集まれる場所だった。何より覚えているのがロビーの場所が大変な空間というか。

木村

マーケットになっていましたよね。

小川

そうマーケットになっていて、これですね(と、一枚の「紙幣」を取り出して)、お札がありまして、銀行の名前が「喜村銀行」で、どうしてそんな名前になったの? と聞いたら、投票でこうなったと、西海石さん自身も驚いていました。ぼくはこのお金で似顔絵を描いてもらいました。そうした、祝祭的な空間がロビーで展開されていた。ロビーの外ではパフォーマンスも行なわれていて、「外」、「ロビー」、「劇場」とすべてが地続きになっている。この状況というのがすごく重要に見えました。ただ、これを芸術の世界で通常いわれている「表現」と呼んでよいのか……。もし仮に「パフォーマンスが稚拙だ」とかいう批評があるんだとしたら、ロビーでのマーケットでは野菜も売っているんですけれど、そこで買ったきゅうりが美味い/不味いということと同じ地平で語られることになると思ったんです。どこかでは読み聞かせをしているひとも居て……。そうしたことがすべてどれもこれも等価なのだというのが、重要なのではないかと。そして、そうした場がたまたま新しく出来た劇場のなかで行なわれているということが本当に幸せなことなんだなというふうに思ったんです。

木村

「復興し、新たに活気を取り戻す街」のイメージを、復興のシンボルとなる劇場のなかで見ることが出来た、ということなのですかね。

小川

それは劇場側も偉いんだけれど、ともかく西海石さんのアイディアに引きつけられました。そして、彼女がもし横浜の作家で、このようなことをSTスポットでやりたいと言われたら、それ出来るんだろうかと思いました。自分の本業に立ち返って、これはまずいぞと思いました。

木村

ぼくもDVDで公演を見たとき、このような形態の上演が、仙台で生まれた一方で、横浜や東京では生まれなかったのはなぜか、ということに思いを馳せましたよ。

小川

うらやましいというより、悔しいんですよ。10-BOXだと夜中や明け方に仕込みが行なわれていたり、24時間稽古場があいているなんて、仙台には自由な雰囲気というのがあるんですね。

木村

24時間稽古場があいている! この前10-BOXを見学させてもらったのですが、そのときに、ここには東京・横浜のような都市の舞台芸術の環境にない魅力があると感じました。空間が広いし、時間の流れのゆったりしたところもよいなと。

小川

東京や横浜以外の日本の各都市の状況のなかで、東京や横浜を範とする「より都市的」であろうとする動きがあります。あるいは、地方都市のなかで観客動員が優れていたり、行政から助成をとってこられたりというひとに評価が集まるという状況もあります。地方の方から横浜の活動を参考にしたいということで、意見を求められることもあるのですが、むしろあまり十分に光が当たっているとはいえない西海石さんの活動にこそ、学ぶべき点があると自分たちは思うんですよね。

木村

まるで、海外から評価をえることではじめて自文化の価値を知る日本、みたいな話ですね。今回、このように、横浜で仕事をしている小川さんが西海石さんに注目しているといったまなざしを紹介することで、地方の可能性をより都市化したところからというより地方の活動から多くの方々が学ぶきっかけにしてもらえると、よいのかもしれませんね。

小川

地方の活動が東京のものまねだとつまらないですよね。

木村

うん、うん。

小川

あとは、集団ということですよね。集団性ということが、ダンスや演劇を語るときの突破口になるような気がするんです。被災地でのアート活動全般の中で主たるテーマだったのが集団だったと考えています。集団のなかで誰が何を決めるのかとか、「みんな」とは誰のことなのか、合意形成はどうありうるのか、という問いをずっと抱えたはずです。

木村

はい。

小川

それが一段落した後、西海石さんがすんぷちょを展開していったとき、ああこのひとは集団であることをあきらめないのだなと思いました。作家の芸術的な意思に基づいて運営していくカンパニー像とは違いますよね。

木村

最近、ぼくが舞台作品に興味を失いかけている理由と近いかもしれません。ある舞台が上演されると、結局、リーダーである作家の才能とか個性に評価が向かうわけですが、そのことのために上演があるというあり方によって、上演のもつより本質的で面白い部分が削がれてしまっている気がするんです。「期待のホープ」「円熟期のヒット作」なんて言葉が踊り、作家への評価が落としどころとなる、そんな舞台芸術の環境に何だか虚しさを感じるんです。芸術界の言語ゲームのなかでは、その視点は意味のあるものかもしれないけれど、そのことのために舞台があるのならばなんだか虚しいぞとも思うわけです。

小川

たとえば演劇分野では「演劇ワークショップ」が2000年以降流行になっていきました。その結果として現在の状況をみると「演劇ワークショップ」の「ワークショップ」の部分が広まっていったのは確かなのですが、その代わりに「演劇」が置き去りになってしまったんですよね。

木村

今日のお話、どうも一貫しているところがありますよね。アンパンでいうとあんが食べたいがためのアンパンのはずがずっと皮の部分を食べているみたいなことですよね。「演劇」が抜けてしまう「演劇ワークショップ」の状況って。

小川

西海石さんのことも、集団を形成する彼女のテクニカルな手腕に注目して、結果的にそこに生まれたダンスの力の部分が語られずにいたら、まずいですよね。そこ、うまくいえないけれど。

ジャーナリズム
田中真実さんと仙台で考える、障害者と共生するダンス公演のこと ── すんぷちょ(西海石みかさ)『ひゃくねんモンスター』をめぐって + 付録:STスポットの小川智紀さんに『ひゃくねんモンスター』について話を聞いた。
ジャーナリズム
文化生態観察・大澤寅雄さんとの対話
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (6)
ジャーナリズム
田中真実さんと考える、教育現場とダンスの接点でいま起きていること
ジャーナリズム
吉澤弥生さんに聞く[改訂版]
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (5)
ジャーナリズム
砂連尾理さんインタビュー
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (4)
ジャーナリズム
唐津絵理さんインタビュー
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (3)
ジャーナリズム
「トヨタコレオグラフィーアワード2014」選評募集プロジェクト
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (2)
ジャーナリズム
コンテンポラリーダンスの「機能低下」を乗り越えるために
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (1)