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画像出典:https://www.youtube.com/watch?v=q6oiEeZYNCg

現在のダンスの環境を考える
ジャーナリズム
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (3)
唐津絵理さんインタビュー
トヨタコレオグラフィーアワード選評

── 今回のトヨタコレオグラフィーアワードには6人の振付家がファイナリストに選ばれました。唐津さんは審査員として、この顔ぶれを選ぶ立場でしたが、この6人にはどのような意図があったのでしょうか?

唐津 まず、ファイナリストに残った6名の振付家について、今回は結果的に最後の段階までいろいろな可能性を残せるようなラインナップになったと思います。予備審査の段階から「振付とは何か?」という議論を審査員同士でも交わしましたが、あえて一つの方向に絞ることはなく、身体の扱い方とそこから生み出される動き、モチーフとして使われているテーマ、演出の手法など、さまざまな方向性を持っている個々の作品を尊重した結果、バラエティに富んだ6作品が選出されました。ですから最終選考会でも6作品の多様性からダンスの今日的な状況が見えてくるだろうと期待していました。最初から方向性を絞りすぎてしまうと、さまざまなフィールドのダンスを考慮することができませんから、結果的に選考の方法はよかったと思っています。

── ただ、今回の6名はいずれも「コンテンポラリーダンス」として括られるような振付家たちでした。

唐津 私個人としては「コンテンポラリーダンス」という言葉で括りたくはありませんが、一般的には確かに「コンテンポラリーダンス」と呼ばれている世界で活動されている振付家たちですね。その他のジャンルから応募がないわけではありませんし、例えばテクニックがバレエアカデミックなものであっても今日的な表現は可能なわけですが、ただ振付家の表現の方向性が様式美に向いていると、いくらテーマを今日的にしても「コンテンポラリーな」表現にはなりにくい。海外では伝統舞踊の人でも同時代的な作品を作っている人は少なからずいます。テーマを今日的にするだけではなく、日舞の技法を使いながらコンテンポラリー作品を生み出したり、伝統舞踊の身体言語を脱構築することによって新たな表現を生み出すようなアーティストが出てきてほしいという期待はあります。

── 具体的に6作品について言及する前に、唐津さんの審査基準を教えて下さい。

唐津 TCAの「次代を担う振付家」を選ぶという方針に沿って、評価する上で重視したポイントは以下の5つです。

  1. 同時代の社会的な視点を持っているか
  2. テーマが、説得力ある動きに昇華されているか
  3. 作品を構成する要素に必然性があり、観客の身体に呼応する動きになっているか
  4. (必ずしも斬新さを求めるわけではありませんが)既視感がないか
  5. 動き以外の要素も含めた舞台作品の総合力としての美的センス

── 「美的センス」というのは、いわゆる「演出」のことでしょうか?

唐津 振付家の多くが、演出も行っていますよね。近代の振付の定義として、美術や音楽までを含めて振付と捉えるのが一般的です。ミュージカルや演劇作品では、動きをつけることを狭義の意味での「振付」と表現することもありますが、このアワードでは作品全体を構成する構成力も含めて、「振付及び演出家」という意味合いだと考えています。

現代的なダンスにおいて振付と演出は分業するのは難しいものです。今回、演出家を置いた振付家はいませんし、音楽家や美術家を置いていても、振付家からの具体的な依頼によってつくられているはず。TCAで考える次代を担う振付家には、動きのオリジナリティだけではなく、空間全体を作品として統合する力が必要だと思います。

また、アワードの基準に合わせて審査をしていますから、今回選ばれなかったとしても、劇場やフェスティバルのテーマに則している場合に、ここで選ばれなかった方を招聘する場合もあります。前提として、アワードでの結果は、作品への絶対的な評価ではないと思っています。

── 「アワードの基準」とはどのようなものでしょうか?

唐津 「次代を担う」という部分と、「振付とは何か」という部分です。それを踏まえて、先ほどお話した5つのポイントを導き出しました。

── では「次代」というキーワードを外したら評価が異なってくる?

唐津 そうですね。過去の作品でも、名作はいくらでもありますし、今、そういった作品に同調することもあります。唯一、個人的な判断が入る余地があるとすれば、「身体に呼応する」という部分です。自分も身体を持っていますし、そこからは逃れることはできません。例えばそれが、気持ちが悪いという反応など、快楽としての反応でなくても構わないのですが、何も身体が反応しないものについては、同じ身体をもつダンサーと観客を繋ぐ今日的な作品とは言いにくいでしょうね。

── では、個々のアーティストについて順番にお話を伺っていきたいと思います。審査会が終わって、お話を伺ったところでは、今回、唐津さんが一番評価したのは捩子ぴじんさんの作品ということでした。

唐津 捩子さんの作品は、身の置きどころのないこの現代社会を、これもまた身の置き所のない身体の動きが生み出す空虚感と、作品の構造そのものから感じさせてくれて秀逸でした。今回のタイトルは『no title』でしたが、今は何も定義できない、何にも確信を持って進むことができない、という状況に対して、「私たちはこう頑張る」という強いメッセージではなく、敢えて「メッセージが言えない」というメッセージを表現しているようにも感じました。本人に聞いたらあまりこのタイトルには意味がないということでしたが、タイトルを含めて必然性を感じました。

作品の構造も大変クリアでした。2人のダンサーが登場して、ひとりがヒップホップを踊る。それは、ある意味アメリカ的な、あるいは西洋的な言語です。それと対比されるのが、捩子さん自身の舞踏的な身体を持ちながらコンテンポラリーを探求している身体。その2つを対比させる中で、歩み寄ったり、観察したり、関わったり、無視したりという関係を見せていきます。その関係が、例えば世界の国々と日本、個人と他者などとのコミュニケーションの齟齬や各国間の無言の圧力を描いているようも見えてくる。ダンスの空間を構成する2人のダンサーと時間軸で変化していく2人の関係の変化、その構造そのものが、そのまま社会構造と重なっている知的で批評的な作品だと思いました。

この説明だけでは、コンセプチュアルな作品のように聞こえますが、それぞれのダンサーたちが、身体に跳ね返ってくるようなダンサブルな動きをしていきます。「コンセプト落ち」していないところがダンス作品としてさらに素晴らしいところです。2人の持っている身体の質感であるとか、言葉と身体の関係性が発展あるいは減退していくさまは、まさにライブならではのグルーヴ感を生み出していました。演出的にもう少し付加する余地があるように思えましたので、そこが加わればさらに完成度の高い作品になったでしょう。

── スズキ拓朗さんは宛先不明の郵便物をモチーフにした『〒〒〒〒〒〒〒〒〒〒』という作品です。

唐津 今まで、コンテンポラリーダンスは、物語性を排除する方向が強くありました。演劇的な視点を取り入れる場合でも、ストーリーの明確さではなく、チェルフィッチュのように動きと言葉の関係性にアプローチしてきていると感じています。現状、物語のあるダンスはいわゆる前時代的なイメージをもつと避けられる傾向にあるようにみえます。けれども、スズキさんはそこに敢えて真正面から取り組み、独自な作品を創り続けている。

また、ダンスの魅力のひとつに群舞があります。たくさんの人数のダンサーのフォーメーションによって空間を変容させるというのはダンスならではの魅力です。ただ、これも高校生や大学生のダンス部で創作されているような「学校ダンス」を想起させるがゆえに避けられる傾向にあるように感じていました。スズキさんはそういった避けられやすいオールドスタイルに直球でとりくんでいることが興味深いし、評価したい部分です。それぞれのダンサーの動きもユニークですし、作品の展開や声・言葉を使いながら動きを加速させていく展開もよかった。総合的な力がとてもあると思いました。

一つ一つの動きはユニークですが、「行き先不明の」手紙というモチーフや、宛先のない手紙がたくさん破棄されるといった状況と動きの関係性が見えにくかった。また封筒という衣装を使ってしまったことが安易にもみえマイナスに作用したのではないでしょうか。ショーとしては見栄えもして大変良くできていると思いますが、「次代を担う」振付、という意味では、もう少し動きそのものでの探求を見せてほしかったと思います。

── 塚原悠也さんの作品『訓練されていない素人のための振付コンセプト001/重さと動きについての習作』についてはいかがでしょうか?

唐津 この作品は、自ら振付けをするのではなく、振付が外の刺激によってある意味自発的に生まれる瞬間を見つけようとしていました。振付家がダンサーの優位に立って演出するのではなく、外部の刺激から表現が生まれる。そういったアプローチはとても面白いし、こういうアワードの中で、いろいろな人を刺激しうるコンセプトだと思います。ただ、美術におけるデュシャンや音楽におけるケージのように、位置づけとしては面白いけれども、さきほど提示した「振付」基準の外にあるものだと感じています。

── 「外にあるもの」とは?

唐津 先ほどのポイントを、さらに外側から問うているんです。そこまで言うと言い過ぎかもしれませんが、塚原さんの作品を議論するとなると「新しい振付の定義」を問い直す必要があります。なので、あの短い時間では議論がとても難しい。「ダンスの振付」だけではない話になってくるんです。

── つまり、作品が「振付」の外部にあることで、より広く美学的な評価が必要になる。

唐津 そうだと思います。この作品は、審査会で議論に入れるか否かを問うような作品だったのではないでしょうか。TCAについて、私は必ずしも「次代を担う振付」=「新しい振付」あるいは「前世代を否定する振付」、とは考えていません。内部に留まり、新たに過去を乗り越えていくという態度もありえると思っています。それに対して、TCAで塚原さんの作品を大賞にするということは内と外を反転させるという大変重大な結論になってしまうわけです。それをするのはTCAという場ではないのではないだろうかと。ある意味これまでの振付の定義をすべて覆すには議論の時間が短すぎますしね。 個人的にTCAは、様々な表現が出尽くした感のあるいま、否定することよりも、むしろ前世代の振付を意識的に肯定することも含めて、「次代」を担うとはどういう振付なのかを考える場だと思っているのです。そこには否定することで先細りしていく今日の現代的な芸術状況全般に対しての危機感もあります。例えばスズキさんは積極的に肯定する振付家に当てはまると思います。

── 木村玲奈さんの作品『どこかで生まれて、どこかで暮らす。』についてはいかがでしょうか?

唐津 この作品は、彼女が国内留学を行っていたArtTheater dB神戸でも審査をしたことがあります。その時は予選で落ちてしまったのですが、彼女の丁寧な動きの作り方は、作品によく現れていますね。作品がどんどんと消費されている時代に、「この作品をつくるにあたってどんな動きが適切か」と、丁寧な作業で積み上げてきた創作への取り組みはとても好感が持てます。

ただ、演出的な部分、電話で田舎のお母さんとのやりとりや照明の使い方には既視感があります。本人が意識しているかはわかりませんが、これまでの多くの現代的な舞踊のなかで常套手段的に行われる演出方法であって、これが「次代を担う」かと言われると、難しい。動きというポイントで見ればこの丁寧な作業とそのから生み出した動きを評価していますが、演出、つまり身体の延長としての空間への展開が少々残念でした。

── 川村美紀子さんは『インナーマミー』で「次代を担う振付家賞」と「オーディエンス賞」を同時受賞しました。

唐津 川村さんの作品については意見が分かれました。彼女のソロ作品はさまざまなコンペでも既に高く評価されています。そこに対して、今回アンサンブルを持ってきた。いったいどんなものを見せてくれるんだろうと、期待値が高かったんです。そこで出てきたものは、予想に反して安定感があり、「正統派の作品」という言い方もできるもの。一方でソロの時のようなぶっとんだ作品を期待していたという気持ちもあり、これをどう評価するのかが審査委員によって分かれたところだと思いました。

作品は、ストロボや効果音、電子音など社会にあふれる音との対比で身体を見せていくものです。構成要素を効果的に対比させたり増長させたりしながら、強いエネルギーを放出するダンサーの身体を存分に活用して、インパクトのあるものを見せていく手腕は流石だと思いました。今回の作品で私が弱いと思ったのはテーマとの関連性。『インナーマミー』というタイトルからは、母娘の関係を連想させますが、それがあの作品の動きにどのように昇華されているのか、上演作品からはわかりませんでした。

── 「既視感」についてはいかがでしょうか?

唐津 ストロボを使った視覚的な印象操作や街にあふれる音を使うという手法はよくあるといえばよくあるものですが、非常に効果的に使われているので、既視感があっても気になりません。例えば音楽でも同じですよね。『ボレロ』という誰もが知った音楽を使ったら既視感があるということではなく、表現に応じて必要だ、新しい見方を提示できたと感じられれば、既視感も問題にはなりません。状況、つまり演出によるということ。そういう意味では、従来のものを壊すという方向性ではなくて、音や光、美術、そしてダンサーや身体の動きまでも、目の前にあるものから必要なものを瞬時に選び取り、構成するセンスがずば抜けていると感じました。

── 乗松薫さんは『膜』という作品でした。

唐津 『膜』というテーマは、社会的で多様なテーマを包括しているコンセプトであり非常に興味深く思いました。膜は、ダンスの根本になる媒体である身体、その身体の内側と外側を分けるものであり、またさまざまな国や境界線なども想起させられて期待が膨らみましたが、今回の作品では膜が小宇宙的な内側だけにとどまっているような印象でした。さらにそのテーマが小道具や美術というある意味演出的な手法で表現されていて動きにまでは上手く昇華されていなかったのも残念です。まずはこのテーマを表現するための動きを見つけることが必要だったのではないでしょうか。

身体感覚という部分で言えば、気持ち悪いものを飲み込んだり、ナイフを突き刺したり、観客の身体に帰結するものを試みたいんだろうなという、振付家としての心意気は感じましたし、そこは次世代に重要なポイントだと評価しています。しかし、動きそのものがもう一歩突き詰められていなかった。またコンペという緊張する場にあって、空間を制することができなかったという印象も持ちました。

作品のクオリティを競っているのではないとはいえ、生身の身体が主役である以上、経験の有無やその時のコンディションなども無関係ではいられないでしょうしね。コンペティションという緊張した特殊な空間で、表現したいことを十分に伝えることの難しさも感じました。

── 唐津さんが重視する「身体感覚」とは、どのようなものでしょうか?

唐津 作品を観たとき、自分の身体で普段意識していないどこかが無意識に反応することです。例えば具体的なことで言えば、関節を一つ一つ意識しながら動いているのを見た時、自分の関節が無意識に反応を起こすことがあります。現代社会では身体の有り様が鈍くなっていますが、頭ではなく直接体が反応するというのがダンスのよさですから。ある意味、体は頭よりも知的な存在だと思っています。

── では、なぜ身体のみならず、テーマやコンセプトなど「頭」での評価もまた必要になるのでしょうか?

唐津 身体だけに委ねていれば、人は気持ちの良い方向に流されてしまいます。身体は知的である一方で、過度な刺激、特に快楽に流されやすい。だから、ダンスを観るときには、頭で理解することと、体で感じることの両方が必要だと感じています。ダンスのことを良く知る専門家として、ダンスの歴史や振付家の上演史とその傾向、また先ほど挙げた基準等からの総合的な価値判断とともに、自身の身体の反応からも問うてみる。そうしないと過度にコンセプチュアルになってしまって、身体で表現するという、ダンスの本質が損なわれてしまいます。ですから私は常に、頭による思考と身体による思考を行き来するようにしています。

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