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I ALL YOU WORLD PLAY/写真:Shinichiro Ishihara

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スペシャル・イシュー
ダンスを作ること、街を作ること
Aokid × 木村覚 『I ALL YOU WORLD PLAY』のアフタートークより

2017年の8月31日から9月2日にかけてSTスポット(横浜)でAokidの新作が上演された。かつては『Aokid city』を自主企画し、最近では代々木公園でゲリラ的にパフォーマンスする「どうぶつえん」を実施しているAokidが、なぜコンテンポラリーダンスの古巣、STスポットでソロ公演を行うのか? Aokidに興味を持つ方、あるいは熱烈なファンであればあるほど、この流れに違和感を持つのではないだろうか。いい意味でも、そうでない意味でも、何故? と。そして、公演が行われた。これまでのAokidのアイディアが寄り集められた集大成的な作品であり、また、(コンテンポラリー)ダンスの歴史を意識しながら、ダンスの更新を企んだ野心作であることに、驚いた。幸いにも、アフタートークの場に招かれたこともあり、言いたいこと聞きたいことを矢継ぎ早にどんどん言って、聞いていった。以下は、その模様を整理したものだ。ダンスを作ることは街を作ることである、Aokidがずっと考えているのは、そのことなのだ。


収録日:2017年9月1日(@STスポット)


木村(以下K)Aokidをぼくが初めて見たのは2009年の大木裕之さんの企画「たまたま7.5」のなかででした。喋りながら踊る姿に鮮烈な印象をもったのを覚えています。その後、2013年の『Aokid city』のvol. 3を見ました。そのレビュー★1で、ぼくは「好き」とは言えるけれど、この舞台を自分は批評できない、批評の対象じゃない気がすると書きました。今日も、批評の立場でうまくさっきの上演を言葉にできるかわかりませんが、よろしくお願いします。

★1
Aokid『"Blue city"-aokid city vol.3』:artscapeレビュー:
http://artscape.jp/report/review/10090333_1735.html

Aokid(以下A)もともと『Aokid city』というイベントは、KENTARO!!さんのカンパニー東京ElectrockStairs作品にいくつか参加した後、多くのダンサーや振付家志望者がするような、劇場の公演というものやそのための作品作りに向かわずに、自分が持ってるダンス以外の要素や方法も色々詰め込めれる形態のパーティーのようなものを出来ないかと、それこそ僕がすべきことのように感じて考えて始めました。

Kタイトルの文句「city」に最初とても興味が沸きました。主として時間芸術であると考えられがちなダンスの分野で、「city」=街という空間的側面に注目する振付家・ダンサーが現れた!! って思ったんです。しかも、単に空間構成とか、イメージとしての「街」ではなく、SHIBAURA HOUSEというちょっと変わった会場に、オブジェがさまざま置かれていたり、上演の最中で突然料理が振舞われたり、ギター弾くミュージシャンがうろうろしていたりと、観客とのダイレクトな交流が図られる工夫が随所にあって、ダンスを踊る空間とそこに集う人々に対して、「街を作る」というベクトルに向かって丁寧な演出が施されていることに、感動したんですよね。さらにvol. 4だと、副題が「cosmic scale」とあるように、空間のイメージがさらに広がりを帯びていました★2。今日の公演『I ALL YOU WORLD PLAY』というタイトルも、ぱっと読むと文法的ではなくて戸惑うのですが、むしろ単語が空間的に並列されていると思えば、合点も行く。そんな風に、ぼくにとってAokidは空間の作家なんです。で、ぼくがまず最初に聞きたいのは、そんなAokidが、今回STスポットという、コンテンポラリー・ダンスや演劇の現場である劇場での上演をなぜ志向したのか、ということなんだけれど。

★2
Aokid city vol.4: cosmic scale:artscapeレビュー:
http://artscape.jp/report/review/10101452_1735.html

Aokid city/写真:Nobuyuki Arai

Aokid city/写真:Nobuyuki Arai

A最近もやはり野外活動に興味があって、ダンスとかアートなどが持つ抽象性やものごとの結果を保留させ考える側面などを社会に向けて広げていく必要があると考えていて、それらの力が社会をもう少し柔軟にしたり、抽象的にしたりする必要がある気がしていて、

K「どうぶつえん」★3ですよね。

★3
どうぶつえん vol. 6:artscapeレビュー|美術館・アート情報 artscape:
http://artscape.jp/report/review/10135727_1735.html

Aそう、代々木公園で僕が声をかけた色んなジャンルの人たちと公園を回りながらゲリラ的にパフォーマンスなどをしていくものです。でもそうした活動とは別に、あらためて劇場というものに関わろうとも思っているんです。一つの理由は、劇場作品を作らないとコンテンポラリーダンスのコミュニティで評価されない、仕事として回っていかないという現実があります。また他には、劇場作品というこれまでコンテンポラリーダンスをコンテンポラリーダンスたらしめてきたフォーム、あるいはその歴史にも応答する必要が強くあると感じました。野外に興味がありつつも、シーンを考えると、劇場という場での発表は続けられていくべきだとも思っているからです。

どうぶつえん/写真:Sawano From Hell

K劇場空間という歴史的な厚みのあるところに飛び込むことで、その「枠」の中に入るとともに、その「枠」を新しいものにしていく、そういう両方の側面があるってことなんですね。

Aぼくなりにその制約を受け止めて、自分のこととして考えていきたいというのがあります。また、(劇場公演を志向した)もう一つの理由に、劇場も街の中にある一つの場所として捉えていて、「街」という単位を考えた時に色々な場所があることは良いことなのではないかと、公演とか映画館とか海とかカフェとか…… 街を作りたいという気持ちがあるので、その延長線上で「劇場」のことも考えています。

K今日の公演では、冒頭の方で、Aokidさんが撮ったご自身の旅の記録が流されていました。その映像には、世界中の大道芸のパフォーマンスがあったり、Aokidさん本人が街で踊っている姿もありましたね。その連想でいうと、今回の上演って、幾つかのシークェンスがあったけれど、それぞれは別々に切り取って、街の大道芸に混じってパフォーマンスすることも可能なのではないか、そんな空想をしながら見ていました。その上で、だからあえて聞きたいんだけれど、Aokidさんにとって「劇場」ってどんな場所なんですか?

A横浜ダンスコレクションに出場する時★4に感じたことなんですけれど、これまで自分がやっていたストリートのダンスには「編集」というものがなくて、場を用意して音楽をかけて、サークルを作って踊って、時間を作っていくというものでした。それが劇場で行われるコンテンポラリーダンスだと、暗転したり、音楽がいきなりインサートされたり、ダンスを映画のように作っていくことができる。ぼくは大学では映画専攻に入っていて、映画の影響を受けているんですけれど、「イメージのダンス」は劇場であれば作れるな、と。変なことした後で、いきなり綺麗な場面が現れるとか、劇場ってダンスを編集可能なものにしてくれる場のような気がするんです。

★4
Aokidは橋本匠との共作「フリフリ」で、2016年のコンペティションにおいて審査員賞を受賞している。:http://www.performingarts.jp/J/topics/archive/2016/j20160203.html

K劇場はおよそ一時間、観客をその場に閉じ込めるってことをする場ですよね。街で行われる大道芸やストリートダンスならば、観客が、見たい時間だけ見るってことが可能ですよね。観客に一時間の集中を強いることで、劇場は──「Aokid city」という表現になぞらえるならば──、その「街」の空間性を観客にじっくりと浴びるように体感してもらう、ということが可能ですよね。今日の公演はモチーフの中に「海」というものがありましたが、Aokidの世界をまさに「浴びるように体感した」という気がしています。

I ALL YOU WORLD PLAY/写真:Shinichiro Ishihara

A本当にそのことを考えていて…… コンテンポラリーダンスで影響されたことと言えば、KENTARO!!さんや川口ゆいさんが一人で舞台に立って、いろんな時間軸を作っていたのを見て、それにとても憧れたんです。でも、最近の自分の活動ではいろんなひととユニットを組んで作品を作ったり、集まるイベントをおこなったり、aokid cityもそうですが。そういった人とコミュニケーションしながらやっていくことが時代も必要としていることだと、やってくうちにより強く思うようにもなっていき、一人でやりきる舞台への憧れ(初期衝動)を忘れてしまっていたんですよね。

Kなるほど。

A最初は自問自答していました。いまの時代に一人で踊ることに意味があるのか? とか。一人でやるための力がまだ身についていないんじゃないかとも思ったり。でも、一人で踊ることにも意義があるんじゃないかってぎりぎり忘れていなかったようです。

K15年以上日本の「コンテンポラリーダンス」の現場に批評の立場から関わってきたんだけれど、Aokidのような、踊れて、大学では映画を専攻していて、グラフィックの才能もあってという才能の塊が、ダンスの場にこだわってくれるのはとても嬉しいんです。多彩な才能をマルチに発揮しようと思えばできるところ、今回はダンスというものにすごくこだわりをもった、ダンスから逃げない、そんな上演でした。広がりというよりも深まりに重点があったと言えば良いか、それがとても印象的でした。振付家やダンサーが勇気づけられるのでは、そんな気持ちにもなりました。

A稽古を一人でやるということが、普段はあんまりなくて。ブレイクダンスだったら、外でガラスを鏡にして通行人が通ったり、それを感じる自意識は多かれ少なかれあって、また何人か集まって練習したりするわけです。今回のこの稽古の一人部屋の中でする機会というのはとても贅沢で、自分に向き合うことになりました。そうすると、できない壁を幾つも意識することになり、先人たちはすごいと思わされることもありました。でも、このアイディアはまだ誰もやっていないかもしれないと思ったりとか、自分の身体を毎日アップデートさせているような日々でした。

Kあと一つ聞いておきたいことがあって、今回音楽がとても重要な要素になっていました。「ポップソング」というかもっと言うと「青春の音楽」というか。なぜそこにこだわるのか。音楽に刺激されて踊るAokidに、見ている側もすごく刺激されながら見ていたわけなんだけれど、その「青さ」…… 10代、20代のひとだったら、ただひたすらその「青さ」を消費していくだけかもしれないけれど、もし「青さ」が人間の普遍的な何かを揺り動かすものであるのだとしたら、それは方法へと昇華されたり、ひとつの思想に結実するかもしれない。

A「青春」ってネガティヴに言われることもあって……

K「青春」(笑)みたいにね。

Aでも、ぼくは革命映画は青春映画だと思っていて。逆に、青春映画って革命映画だと思っているんです。『ウォーターボーイズ』『69 sixty nine』などは、自分たちの今いる場所を面白くしたいというエネルギーに溢れていて、それって革命につながるような気がする。今自分のいる場所をどうにかしたい、そういう青春の思いというのは革命とつながっている。自分のなかで、そういうことと音楽に刺激されて踊るということとがまだ結びついていなくて。なぜこの音楽を使うのかということについてまだわからないことがあるんですけれども…… でも今回、グレン・グールドとか、93ティル・インフィニティとか、group_inouとか、エンヤとかを使ったんですけれども、でも、グレン・グールドもすごい青春感あるじゃないですか。

Kん、うん(笑)。

Aしないかなー。なんか、「突き抜けた、ボーイ感」というか。ぼく男の子が好きなんですよね。男の子気分というか。

Kそれ突き詰めてほしいな。「(笑)」ってさ、アイロニーじゃないですか。世界の外側に自分が立っているつもりになって、高みの見物で、対象を笑うというね。芸術的な表現というものもしばしば「アイロニー」の素振りをとることで、自分を芸術化しているみたいな、そう感じてしまうこともあるけれども、でも、そんな「メタ」じゃなくても、「ベタ」もアートでありうるって、Aokidのパフォーマンスからはそういうメッセージを感じるんだ。

Aうん。

I ALL YOU WORLD PLAY/写真:Shinichiro Ishihara

KChim↑Pomのある部分とか遠藤一郎とか、古くはブルーハーツとか、ぼくのなかでは「青」い作家たちとしてAokidくんと彼らがひと塊りだと感じているところがあります。革命とかあるいはそのための動員とかって、例えば、上演の最初の方で、Aokidが手を叩き続けるってシーンがあったじゃない。それって、「拍手」として見れば(そう見えない多様な見え方もしていたけど)、観客が行う役割を先取りして、観客に先んじて「拍手」し、「他人に拍手を送る」という気持ちを鼓舞しているような、ね、そんな「動員」の場面としてぼくには見えました。あるいは観客に話しかけるとか。劇場という場なので、「コール」があっても「レスポンス」は観客はしずらい。けれども、「レスポンス」へ向けて体が揺さぶられるわけです。「どうやって、自分のエナジーを感染させて、その次の状態を準備するか」ってことにAokidが向かっていたように見えたんです。

A劇場で、いい音楽やポップミュージックをしかるべきタイミングで再生するっていうことも、少し場所とか状況は違うにせよみんなも日常でできることだと思っていて。拍手を面白い仕方でやってみるとか、オススメですよ!! みたいな気持ち。

Kだから、Aokidは単に劇場上演作品を作っているんじゃないんだと思うんですよ、AokidのエネルギーやAokidの感性を観客に感染させて、次の動きを作ろうとするという。この点が、今回の上演で、一番興味深く、重要な点のように思うんです。

A最後に言いたいのは、ダンスというのはものごとを見る方法の一つだと思っていて、音楽のリズムに手を合わせ(手を叩き)ながら聞いてみるとか、(服や体をこすって)音を出す体とそれを聞いてる体があるとか、鳴っている音楽のメロディーを手を振ってなぞろうとするとかで、じっとして音楽を聴く体験とは変わったりしていく。だから物事との関係の体験をダンスは変えてくれると考えていて、それによって出会う世界も変わっていくと思うので、もう一つの方法としてあるんだと、おすすめしたいです。少し音楽がなったら、手を伸ばしたりしてみる。それがもう一つの聴き方、となるのです。

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