2015/04/15
いま日本のダンスは多様化しまた専門化してもいて、その意味では、とても充実した状況にあると思います。しかし、同時に、多様化し専門化してしまっているがために、個々の作家がどんな取り組みをしているのか、どんな課題を設定してどうそれを克服しようとしているのかが分かりにくくなっているのも実状です。
かつて日本のダンスは、もっと単純で「一枚岩」だったように思います。「コンテンポラリーダンス」という言葉が流行していたのはちょうど10年前、2005年頃をひとつのピークとするようなその前後5年くらいというのは、日本のダンスは、ぼくが思うに「ちょっと」変わっていて、「ちょっと」かわいくて、「ちょっと」ユーモラスで、「ちょっと」非日常なもの、という共通の特徴をもっていました。例えば、コンドルズ、珍しいキノコ舞踊団、イデビアンクルー、伊藤キム……。この「ちょっと」のさじ加減が、日常(普通)から逸脱している一方、日常的なもの(普通)とのなめからなつながりもあって、ある種ポップな展開を生み出しました。もちろん、その間にも、この「ちょっと」のセンスとは異なるダンスはありました。そのもっとも鮮烈なものは女性の振付家たちによる「女性性」を強く感じさせるダンスでした。矢内原美邦、康本雅子、黒田育世……。彼女たちの作品のなかには、「ゴス」的な感覚をも喚起する独特の暗さが際立つものもありますが、基本的には、ロマンチックバレエの黎明期から連綿と続いている「踊り子」というテーマのなかに、それはほぼ位置づけられるものといえるでしょう。
しかし、5年くらい前からでしょうか、この「ちょっと」の美学や「踊り子」というテーマ系とは種類をことにするダンスが日本で目立ってくるようになりました。彼らの取り組みはユニークです。でもその分、分かりにくい面もあります。今回、彼らがどんなダンスを作ろうとしているのか、そして彼らのダンスがどんな価値を発信しようとしているのかを、彼らとの対話を通して明らかにしてみたいと思っています。日本のダンスのいまのかたちが、彼らを知るだけで理解できるとは思いませんが、彼らを理解せずしていまのかたちが見えてこないこともまた真実です。
聞き手の木村は、彼らに4つの質問を事前にしました。座談会は、前半、このなかの2つを主に扱いながら一人一人のダンスのかたちを取り上げながら進んでいきました。後半は、ざっくばらんな雰囲気のもとで、各自が気になっていることを話題にしていきました。
この日の模様を、Part 1(「鈴木ユキオのダンスのかたち」)、Part 2(「岩渕貞太のダンスのかたち」)、Part 3(「神村恵のダンスのかたち」)Part 4(「捩子ぴじんのダンスのかたち」)、Part 5(「アフタートーク」)に分け、順次公開していきます。
今回はPart 1「鈴木ユキオのダンスのかたち」を公開いたします。
木村覚
収録日時 2015/03/25 14:00-17:00
会場協力 A-MA-LAB(アマラブ)
BONUSから鈴木ユキオさんへの質問と
鈴木さんからの返答
Q1 いまあなたが取り組んでいるのはどんなダンスですか?
質感のダンス
体そのものの質感を提示するやり方をとっています。
その中に感性を込めています。
残念ながらまだまだ私のやっていることは理解されているとは言えませんが、今の流行ではなく本質だけを提示するやり方で伝わるだけの方法が必要だと思っています。しかしまずはその為にも体の追求を優先せざるを得ないのです。
そのためにそこにだけエネルギーをそそいでいます。すべてが整うのは10年後かもしれないと思っています。
タイトルでもわかるようにからだの取り組みそのものをタイトルにしていることが多々あります。
現在は、少し変わってきていて、からだの質感+その体で何をするかという方向に向かっています。それは体の追求が身を結んできたことと関係しています。
Q2 そのダンスの方法、核となる思想とはどんなものですか?
舞踏からスタートしているということが自身の考え方にかなり影響を与えています。
体そのものを提示すること、ダンスになる瞬間を捕まえること、ダンスとは何かを問うこと、などそれによりダンスの歴史、同時に社会、歴史をみて今なにをすべきかを考え、何を発表するかということでもあります。
Q3 あなたのダンスと社会との関連について、どのように考えていますか?
作品のテーマが社会と直接関係ある場合もありますが、例えば9.11や原発の事故が起きた時の作品などは、作品の中にそれを取り込むこともありますが。多くは自ずとその時代の空気をはらんでいるのではないかと思います。
最近は、そのようなこともあまり意味がないくらい時代は移り変わるのが早いですし、世界が混沌としていることと同じように、ダンス自体も多様化しているので、むしろ意識しなくてもよいのではないかとも思うこともあります。必然的にそのようなものははらんでしまう。あるいは、まったくそのようなことを考えずに今自分が追求している体を作品のテーマとしてつけてしまうこともあります。
また社会とくに日本の社会において、あるいは日本に住む人たちにおいて、社会との関わりをもった表現などを必要としているのだろうかと考えてしまいます。
Q4 ダンスを取り巻く場の可能性・課題をどのように考えていますか?
可能性は感じません。自分でつくるしかないと思っています。
しかし、だからと言って50人のお客だけに見せていればいいとも思いません。自分に興味のない人たちのところに出かけて行って見せることも必要だと考えています。
企画ものであれ、おおきな劇場であれ、どのような場所でもできるよう挑戦しています。
できるだけ多くの人の目につく場所で発表することも試みていますが、私の作風は決して大衆受けするもの食べやすいものでもないので無理があります。しかし外野で爆弾をしかけるだけではなく、かなり苦しいおもいをしてもアウェイでセンターに潜り込んで爆弾を仕掛けるリスクをとることも必要な手段だと考えています。しかもそれが爆弾と感じさせないやり方でやれないかなと考えてもいます。まずは口にいれてもらわないことにはという思いもあるので。