BONUS

対話を通してダンスを捉える
インタビューズ
「ワークショップ」が作る未来のダンス⑦
神村恵・篠田千明・砂連尾理ワークショップをめぐる座談会
聞き手:木村覚

2017年3月に砂連尾理さんは東日本大震災をテーマにした『猿とモルターレ』を彼の暮らす大阪府茨木市で上演しました。この作品は、東日本大震災の被災者ではない砂連尾さんが取材を通して震災を知り、当事者ではない立場で震災を表現するところに大きな意義を持つものでした。茨木市での上演では、地元の高校生たちが出演しました。彼らもまた震災を経験しなかった人たちです。砂連尾さんと続けたワークショップを通して、高校生たちは震災に迫っていきました。私たちは、この公演の翌日、今回BONUSに関わってもらう3人で集い、ワークショップをめぐる意見をかわしました。会場となったカレーの美味しい茨木市のカフェが功を奏したのか、会話はリラックスしたムードで進んでいきました。まずは、ここからBONUSのプログラムはスタートします。


取材日 2017/3/12(大阪府茨木市)


『猿とモルターレ』が取り上げたこと

篠田昨日も言ったんですけど(『猿とモルターレ』は)『はだしのゲン』見てるときとラーメンズ見てるときの気持ちが交互に出てくるみたいな感じでした。

木村もうちょっとこう噛み砕いてもらえますか。

篠田めっちゃ噛み砕いてるじゃないですか。えーとなんかこう「身体表現!」みたいなのと「身体表現……」みたいな。

砂連尾全然分かりにくくなってるんじゃない?

神村余計分かりにくいです。

篠田ダメだ、勢いじゃダメだ。なんていうんですかね。なんか怖い感じのとこと、そうじゃないとこがあったみたいな。

木村そうじゃないところはラーメンズ?

神村あの男二人でなんか……

木村ああそうかコントみたいなね。

神村あのシーンとかも滑稽にはしてるけど、内容としては割と重いことを言ってて、笑いが起きたりしてたけど、聞き方によっては嗚咽しながら声を絞り出してるようにも聞こえるし、声だけ聞くと。でも光景としては明らかになんかオッサン二人が無意味なことやってるみたいな。内容とやってることの距離の作り方が、すごくいいなと思って。

木村もう少し掘り下げてみてください。

神村見る方はどうしても自分の体験と重ねて見ますよね。被災地であっても離れていても、いろんな形で震災というものを経験しているし。その経験とともに見ると、すごい重すぎるっていうか受け止めきれないものになるから、それをどういうふうに受け止め可能なもの、共有可能なものに変えるか、みたいなことが作品の真ん中にある気がした。ところで、昨日伊勢神宮に行ったんだけれど、お参りしている人がたくさんいるわけです。でその中にスピリチュアルなパワーに専心している方たちもいて、樹に「ハーッ」てこう手を寄せたりだとか、石にこう「ハーッ」て手をかざしたりとか。すごくそれって自分の願いとかが、もろに出ちゃってる行為で、あんまり見てはいけないものを見てる感じになって。祈りの、例えば「パン、パン」ってしておじぎしてとか、形式として決まってるものだと、そういうものだからみたいな感じで見られますが、それって結構大事だなと思って。「型」としてやるからこそ人前で見られるものになる、というか。そういうことと(砂連尾さんの公演が)結構重なって見えて。

砂連尾東日本大震災の被災地に閖上っていう場所があって。津波の被害があったところで、その近くに名取市文化会館っていうところがあるんですが、その会館で僕は2006年に公演とワークショップをやったんです。そこは震災時、避難所だったんだけども、ものすごく立派なホールなのよ。立派なホールにも関わらず、有名なタレントさんが来ない僕らのワークショップとかだと来場者はほんと少ない。だけどそういう非日常なことをやる会館が、震災の時は生活をする日常の場所になって、でそれがまた避難が解除されたら、そこがまた非日常の場に戻るんだけども、公共ホールとか会館っていう場が、ある非常事態の時に避難所っていう機能を持ったとするならば、それが解除されてからまた普通の会館に戻るよりは、そこが何かこう祈ったりそのことを思い出すような場所にするようなことができないかなっていうことを思って、2013年から2014年にかけてそこで、これからの公共ホールの新たな形を模索しましょうみたいな活動をしたんですよ。新しいお祈りの方法とか探してみたり。それと、民俗芸能をリサーチする人たちが東北に増えたんだけど、それは人だけでなく、祭りや儀式の品々が流されてしまったから余計に回復しようと思ったり、流されたがゆえにきっちり記録しておこうっていうことも含めて起こった出来事だと思うんですが、今回の作品はそういうことを考えるきっかけになっている作品なんです。

木村祈りの新しい方法……

砂連尾分かんないけど、震災がきっかけで、今の日常の中に祈りの形が無いなと思ったのね。で、それが無いなと思ったときに、震災2年後の2013年に、それこそ僕の一個上の親戚が白血病で亡くなったんですよ。で、妻のおばあちゃんもちょうどその年に亡くなって。そうすると今のほら、お葬式って遠方から来る人のことも考えてってことだと思うんだけど、初七日をその日にやるじゃない。全部ある種のその、本当は一週間泣いて暮らして、七日目にもう一回みんな集まって、でまた一週間、ってこうやって、七まわり目の四十九日になるまで昔は毎週集まって、四十九日ぐらいからその人の話題が出なくなって笑いが生まれるっていう。それぐらいやっぱり人の悲しみとか別れを癒す装置っていうのが、昔はちゃんと機能してたし、あったけどもそれが、なんか今喪失してるんじゃないかなっていうことを含めて気づいたときに、それを何か作り直せないかなっていうか、そういうことを震災を契機にみんなで一緒に考えていけないかなと思ったんです。伊勢神宮のね、ハーッていうのと重なったていうのは確かに自分にとっても、一個上の義理の親戚の姉との別れがその日ではできなかったっていう思いもあったり、それがもしかしたら震災のときに、きちんと別れが出来なかったり、いろんなそういう思いを抱えた人がいたんだろうなっていうのを含めて考えたんだよね。

篠田アフタートークで、石井路子先生があのとき福島で震災後しばらくしたら、被災レベルによって少しずつ人の心が分かれてきてって話してたでしょ。あれすごいしんどいだろうなって思う。身内が死んだり、何かを失ったりするのも辛いけど、なぜ自分がっていう思いが、そのあと出て来るんだろうね。被災レベルの異なる人たちと一緒に暮らしてて。私ちょうど震災の一ヶ月半前にその福島県立いわき総合高校の高校生たちと公演があったから、、生徒たちで連絡取れましたみたいなことにすごい差があって。すぐ分かる人もいればそれこそ双葉町とかどうなってるか。

神村そっちの方から通ってる人もいるの。

篠田うん。あと浪江か。いわきに住んでた子もいたし。いわきの浜通りに住んでいた友人だと津波に遭うわ、地震起きて車運転してたんだけど車が流されるわ、家もなくなるわで、あんた大変だったねみたいな。

木村ちょっと話し戻すと、僕はその話でいうとたまたま昨日はね、一昨日(初日の公演)は別の日付だけども昨日(全員が見た回)はちょうど3月11日で、しかも14時46分という時間にちょうどその公演もあったこともあって、公演中に「黙祷をしましょう」ってなったじゃない。僕はそこで黙祷をすること、みんなで黙祷をする場があったことでかなり気持ちが救われたんですよね。東京に暮らしていると、個々人に哀悼の思いがあったにしても、集まって凝集させることがなく、思いが拡散しちゃうんです。だからああいう場がたまたまあってその場で黙祷ができるってことがすごく嬉しかったし、じわーっとそれが悲しい気持ちに変わりもするんだけど、そういう気持ちを発露できたことがすごいよかったな。劇場あるいは上演ってそういう場になり得るんだっていう。面白かったし、よかったんですよね。

高校生とのワークショップについて

神村話が変わりますが、高校生がすごい良かった。高校生も含め全体にチームワークができてるなあ、いい雰囲気だったと思って。ワークショップから始めるときにどういうふうに、どこから関係を作っていったのかな。

砂連尾最近僕、ワークショップをやるときに意識的に行っているのがワークの意図を言葉としてきちんと説明するっていうか……20年前はね、いわゆるコンテンポラリーダンス的な動きをしたいというか、そう動くことでどんな感覚が開かれたりするかということに関心を持っている人がまだ相対的に多かったのかな? ワークを受講する人は今も20年前も人数的にはそんなに変わらないかもしれないんだけども、昔はそれが頭で理解出来なくても、とりあえず、与えられたお題で動いて知覚を働かせるという体験だけで満足して帰る、自分もそうだったと思うんですけど。

篠田それはワークショップで?

砂連尾ワークショップで。だから例えばなんかじゃあ、ここで、感じてこうやって動きましょうっていうことだけで動くていく、それで十分だったけど、今は幾つかの大学で身体ワークの授業もやってるんですが、学生たちは一応表層的には身体を動かしてくれるんだけども、なかなか納得をするまでの時間がすごいかかるというか、頭で理解したいという人が相対的に多くなってきたんですよ。それはこういうパフォーミングアーツに関心がある人でもそんな印象があるかな。

神村私も、コンタクトインプロの初歩的な感じで触ったり、ちょっと体重をかけたりとかやったときに、「これって何のためにやるんですか?」って聞かれてすごいびっくりしたことがあって。そんなことあんまり自分がやってたとき考えなかったし、そんなこと考えるんだと思って。

砂連尾そうそう。最近はそういう人が多くなってるなと思ったときに、今回高校生とワークショップ行うにあたって、哲学者の西川勝さんに協力してもらって、対話する時間をだいぶ作ったんですよ。ワークして、それについて考えるっていう時間……

篠田どんなことやるんですか?

砂連尾「足の裏から世界の叫びを感じて動いてみよう」みたいなね。結構、本気で僕は言ってるんだけど。地続きでは必ず、中東では戦闘が起こってるけど、ものすごく感覚を澄ませば、絶対に足裏からも感じるんじゃないかっていうある仮定をもとに、体の感覚を開くということをやると。多分昔だったらもうちょっとポジティブに動いてくれたけれど、今はそれは一体何なんだろうって考える時間が必要になってきたように感じるんだよね。振付とかワークの内容ってひとつの方便で、そこから自分が何を模索するかはその人たちに委ねられるんだけども、今は表層的にこういうことをやったらいいのかな、こういうふうにやると正解と思われるのかな、みたいに考える学生が大学の中でも比較的増えてきているのかな? そういったときになかなか体が開いていかないというか、今まで作り上げてた枠をなかなか揺るがせられない。頭で先ずフレームを作ってそれを考えてからワークをするんだったら、じゃあ頭を揺るがしていかないと体を揺るがせないなという思いがあって。で、必ず哲学カフェ的なことを、6月、9月、10月、2月、3月の、計7回のワークをやったんです。だから回数としてはそんなにめちゃくちゃ多くはないんですけど、1回につき少なくともワークと対話で5時間近くはやったかな。

木村午後中ずっとやってるって感じですよね。

砂連尾うん。

神村授業の時間で?

砂連尾だいたい日曜日とかね。

木村彼らはね、部活動なんですよ。だからクラスではなくて部活単位の集まりなんですよね。

神村だから割と積極的にというか……

木村それもあるかもしれない。

砂連尾で、まあみんな石井先生の教えを、篠田も知ってるけど、石井先生は一生懸命じゃないですか。

篠田一生懸命、一生懸命。

砂連尾その石井先生の学生なんで、とりあえず取り組んでくれる。でも、いきなり「足の裏から……」って言ったら、こっちは本気でやってるけど、一瞬「え、なんだこれ⁉︎」みたいなね。でもその「なんだこれ」を実際にやっていくためのいろんな仕組みを考えながら進めたワークではあったかな。それを重ねていったとき、に何となく、(神村さんが)言っていたような雰囲気というか、ああこの人こういう人なんだとか、この人こういうことを本気でやろうとしてるんだとか、何となく確立されていったっていうことはあるよね。

木村公演最終日に高校生と砂連尾さんやスタッフたちとの打ち上げがあって、最後30分、1分ずつあげるから感想を言ってくれっていう時間があって。でね、7割ぐらいの子が「最初は何をしてるんだか全然分からなくて」って言うんだよね。で、それが変わったっていう、何かある種のハッピーストーリーを語ってくれるんだけど、「分からない」「何なんだろう」っていうのはすごくみんなの中にわーっと広がってて。分からないながら進めていく。そういう部分があったらしい。

神村なんかあと、学校なのに、みたいな。学校の先生とか学校でやる活動がそんなわけわかんないことやらないだろう、みたいな前提がまずすごいありそうな気がする。いい大人がそんなわけわかんないこと普通は言わないのに何だろうみたいな。

木村そうだよね。大体答えのあるものを習得して受験に備えるっていう。高校時代までってね。そういう学びだけど。

「学校」という場について

砂連尾「分かんないこと」をやるっていう、震災のことも含めてね、それは本当に石井先生はかなり慎重でしたよ。それによって、昨日のアフタートークでも言いましたけど、知らず知らずのうちにこちらが学生たちを傷つけてしまうこともあるかもしれないし、戸惑わせ過ぎてしまうかもしれないし、ということはあったと思うんですけども。まず石井さんとの対話の時間は一年ぐらいあったかな。対話というか、こういうことをやりたいと思ってるっていう話をしてから何回か話を重ねていって。石井さんがかなり被災地としての当事者に近い場所にいた、ということはやっぱり大きかったと思うし、ワークに関しては率先して彼女がいろんな見本を見せてくれた。見本というか、彼女自身が僕の訳分かんないワークを「こうじゃない?」っていうのを身体で示すっていうか、また、石井先生が学生たちにやってみてって言うとものすごい一生懸命やるわけよ。そうすると学生たちも圧倒されて。垣尾君と一緒に行ってたので、「じゃあ垣尾君にもやってもらおう」って無茶ぶりすると「え、砂連尾さんは」って無茶ぶり返しされたりとか。えーって、もうやらざるを得ないじゃん。俺はできないからとか言えないし。振ったら振り返しされて、そうするとこっちもやるじゃない。そういう真剣な姿は生徒たちが一歩踏み込むのには、少し役に立ったかもしれないね。時間はかかりますけどね。また、僕はいろんなとこ行くけど小学校、中学校へのワークショップって、一回ね、認知症の介護をするのにロボットを使おうってあの、平田オリザさんが関わっている石黒研★1ってあるんですけど、石黒研の中のあるスタッフと一緒に大阪大学と組んで、小学校でワークしてくれと。「ハグビー」★2っていう人形があって、これを老人が抱えて(抱きかかえ)、小学生がPCを通して遠隔操作で語りかける。

★1
石黒研:http://top.irl.sys.es.osaka-u.ac.jp
★2
ハグビー:http://hugvie.jp

神村あ、声も出る?

砂連尾声も出るんですよ。いきなり小学生が認知症の人と会うのは大変なんじゃないか、であったら、ハグビーを通して交流とか関わりの練習をしようって考えた研究者がいてね。じゃあその為のワークしようと。それで砂連尾さんお願いしますということになってワークを依頼されたんです。そのワークの最初に行ったのが、先ずハグビーの電源を切って、人形に魂を吹き込もうってことをみんなでやったんです。身体全体を使って、一人ずつ魂を、こうやっていってね(吹き込んでみる)。

神村みんなやってくれた?

砂連尾僕が最初まずやると、みんな「えー」とか言うわけ。で、みんながこうやって。「魂吹き込めた? じゃあ名前決めようか。何にする?」「なんとか! なんとか!」と一人ずつ名前を付けるの。その次に「そしたら次は声を聞こう。なんか発してるかな?」。そうするとやっぱり最初は「えー何も発してないよ」とか「はあー」とかなるんだけど、実際近づいてハグビーに耳を近づけると子どもたちは「あ、何か言ってる!」ってなるわけ。

神村あ、子どもか。

砂連尾うん、最初魂を吹き込むわけ、3、4体あるから4、5人でグループになってね。1体ずつ名前を付けよう。それで距離を縮めるんだよね。そしたらこのハグビーが何を喋ってるか、聞いてきてって。最初はえーって言うんだけどなんかみんな「しゃべってる」って言うわけ。これ多分、さっきの伊勢神宮のあれじゃないけど、そこに神様がいると思うから人はそこに神を作るわけじゃない。それと一緒の構図だと思うんですけど。

篠田あ、ほんとは言ってないの? ほんとはしゃべってない?

砂連尾音声は出てない。電源も切れてるし向こうから遠隔操作してしゃべるということはない。でもここに何かしゃべってるという、あるフィクショナルな、何か分からないけどそういったことを通してハグビーと関わるというね。これが、まず準備段階。じゃあ今度はこのハグビーと一緒に踊ろう、ってなったら先生からワークを止められました。「もうやめてください」って。

神村学校の先生が? 止めるんですか?

砂連尾学校の先生が止める止める。止められたのよ。

神村ちょっとヤバいと思って?

砂連尾先生はもうヤバいと思ったんでしょうね。ここまででも、ハグビーの声を聞くまでの段階で結構先生はもうこう(気が動転に)なってるわけよ。スタッフが「砂連尾さん、すいませんが…… 先生からストップが……。」って。えー、子どもたちは、みんなほら踊ってるじゃんって。

神村子どもは結構乗り気なわけ?

砂連尾すごい乗り気で踊ってましたよ。阪大の先生とか石黒研の優秀なスタッフたちの評判は良かった。「砂連尾さん良かった、ああいうのをやったらよかったんだって分かりました」って。

神村そこで終わっちゃったの?

砂連尾学校の先生からストップかかるともうダメで終了しましたね。子どもたちは本当にいい笑顔してたんですよ。後から記録写真で僕見たんだけど。

木村なんで止めたんだろうね。何を「ヤバい」って思ったんだろう。

砂連尾つまり先生はこれを始めたらこういう成果が出るっていうのを先生自身が理解できる範疇を超えると、それは……

神村報告しなきゃいけないし。

砂連尾そうそう。それは説明できない。説明できないことが……

神村「魂を感じて踊りました」とか書けないですよね。

木村「魂」って言葉、学習指導要領に出てこない、か?

砂連尾そういった意味では小学校や中学校のワークショップっていうのは、ここから始めてこういう成果が出て、彼らは何か新しいものを生み出せるようになった、っていうふうにならないと出来ないわけです。そう思うと今回の『猿とモルターレ』の追手門でのワークショップは、そういった成果を気にせず、不可解なことを自由にやらせてもらえました。他では往々にして「お祈りができるようになりました」とか「みんなでつながりました」とか、そういう分かり易い文脈でのワークを先生から求められるというか、特に中学、高校のワークショップではそういう傾向にありますね。もちろんそれには抵抗しますけど。

木村 部活動という有志たちの集いの場だし、震災を経験した石井先生のもとに集まってる場だし。

神村石井先生がいないと成り立たない。

木村砂連尾さんに普通の先生が「じゃあお願いします」と信頼してお任せするみたいな形では、無理なわけね。

砂連尾石井先生だから振動を感じて揺れましょうって言えますけど、それがさっきのハグビーの現場じゃないけど、そこの先生はもうそわそわしてたらしいのよね。声聞くぐらいから。

神村事前にこういうことやりますみたいな話はしてなかったの?

砂連尾してなかった。

神村ロボットを相手にやるんだからそんな怪しいことに行くって思わないですよね。

篠田甘いな。

神村さんが実践したワークショップのこと

木村今ワークショップの実践の話になんとなく移ったので、お二人からもそういう自分の、じゃあ神村さん、どんなワークショップを今、あるいは過去やってきたのかとか、そこから思うところを話して。

神村ちょうどこの間三ヶ月ぐらいやってたワークショップが終わって。それは高嶋晋一さんっていう一緒に組んでパフォーマンスとかをやってる人と二人でやってたワークショップで。週一回集まって、時間っていうものをテーマにして毎回話をしたりいろいろ試したりとかやって。高嶋さんは美術の人なんですけど、レクチャーをしたり絵を紹介したりとかやって、私は動きから考えるみたいな感じで。で、最後にパフォーマンスをやりました。半々でやったから自分一人のワークショップではなかったんですけれど。最初の方に課外授業的な感じで山を登るっていうのをやって。山って普通に登って頂上まで行って景色を眺めて休憩して帰ってくるみたいな、あるピークがあってクライマックスからまた日常に戻ってくるっていうのがありますよね。それを平らにするみたいな感じで淡々と同じペースで登って即下りてくるみたいな、ピークを作らない山登りをしようって、割と低めの山に登ったんです。参加者二人だから4人で無言で登って速攻下りてくるみたいな感じの。

砂連尾どこですかその山って。

神村大月★3っていうちょっと山梨に入った、駅前にあるあんまり知られてない山、景色とかすごい良いんだけど。

★3
大月:http://otsuki-kanko.info

篠田でもどうしても「着いた!」って思っちゃわないですか。

神村気持ちは普通にクライマックスになるよ、富士山とか超見えるし。

篠田さ、下りようみたいな。

神村さ、下りようみたいな。

砂連尾ポストモダン風な登山だね。場所としては山って、登頂するとクライマックスがあるじゃない。普通にある生活の中でも我々はあるクライマックスを常に求めてるし、作ってるわけじゃない。それがあるけどそのクライマックスを平坦にする。

神村やり過ごす。

砂連尾変わったことするね。でも面白いと思いますよ。

篠田着いた! ってこうなるよね。

神村ちょっと尾根みたいなとこに行って気分がふわーってなって。なるんだけどならない。

木村「あいつをやり過ごした!」っていう爽快感が残る。

砂連尾それすごいやっぱり反スペクタクルっていうかさ、ある意味でね。レイナーとかはずっと反スペクタクルって言ってたわけだし、淡々とピークを作らないダンスというかさ。多分ピークって我々、計算された感動とか、感動っていうものを共有してる祝祭性っていうのは時に良いことなんだけども、時に、ファシズムとかそういうことも含めて、なんか扇動していくもの、軍隊とかって体制側にはスペクタクルなものは利用されるっていうか、そういうものを否定するために敢えてスペクタクルなものをフラットにしていくっていうかさ、それを日常でどう実践するかっていう実験のように思えるね……

神村で、そのことを歩いてる間もしゃべらないし、終わったあとも一応ちょっとご飯食べながら話したりしたけど、そんなにそこまで、シェアしづらいじゃないですか。あんまり感想とか出てこなくて。でも最後のパフォーマンスの時にミーティングの延長みたいな感じで喋りながらやったんですけど、結局あれが一番印象的だったみたいで、言葉にならない感じが、すごいモヤモヤしたものが結果的に……

篠田ものすごいモヤモヤがあると思う。

神村ピークを迎えて乗り越えたのに共有してないし。

篠田モヤりはすごいと思う。

木村感動を否定して登山する人はいないよね。

砂連尾淡々とね。登山てさ身体的な負荷がかかるわけじゃん。登るっていう行為を、それをフラットにするっていうのはさ、かなり身体的にはきついことも含めてフラット感っていうのは、そういう圧をかけていくっていうかさ、それはすごい面白いと思う。

神村無言で登ると恐怖感とか消えるんですよ。怖いってみんな言うと、怖いね怖いねって共有すると、その気持ちが増幅するけど、無言だととにかく登んなきゃいけないから。鎖でよじ登るようなところもあって、危ないとこもあったんですけど。でも割と普通に登って。後から聞いたら怖かった怖かったってみんな言ってて。

砂連尾ワークショップといってもそうやって外に出ていったり、ワークショップのあり方、やり方としては今どんなふうに?

神村定期的にやってるのはなくて、その山登りもたまたま一回行っただけで基本は室内で話したりいろんなことを試したりとか。

篠田その試すっていうのはどんなことを?

神村そのときは時間っていうのがテーマだったから、テンポをずらして、一定のテンポでやったのを倍速でやったり、すごいゆっくりにしたり。隣の人がやってたことを自分がやって、自分がやってたことを……ってどんどんやっていくと同時にやっるような感じになったりとか。

木村神村さんのワークショップに参加する人って、どんな動機で参加してるんですか?

神村その登山したやつは、ダンスをやってる人たちじゃなくて。一人はボイスパフォーマンスとかをやってて、服飾の研究をしてる人で。もう一人は建築をやってた人で。二人ともそれぞれ動くことに対しては何かしらの興味が…… 割とでも理屈っぽく考える人たちで。いわゆる体を動かして体の実感を得たいみたいな……理詰めの人たちだからあんまり体でやらない方がいいのかなって段々なっちゃって。後半割とパフォーマンスを作るってことに入っていったので体でやるっていうよりは考えて、その操作で動きに発展するみたいなふうになっていって。

木村でも案外と山登りが印象的だったって話が残ったりするのも面白いですね。

神村わけわかんなくても砂連尾さんみたいに押し切ってやっていいのかなって後から反省したりして。

木村面白いですね。ダンスを学びに来るみたいな分かりやすい教室の形とかっていうのがあるとしたら、神村さんに求めるものがいわゆるダンスだったら逆におかしいですけど、いろんな面白さを期待して来るんですね。

神村いわゆるダンスじゃない入口で体にアプローチしたいっていう人はある程度いて。

木村津田道子さんとの公演★4の最初の方で、少しお話をしてる場面で「この公演は修行ですから」って言葉が神村さんからポロっと出てきて「修行」って面白い言葉だなと思ったのね。「レッスン」とか「研究」とか「学習」とか、いろんな言葉があるかもしれないけど「修行」って、修行か……どんな狙いで「修行」って言葉が出てきたの?

★4
乳歯(神村恵、津田道子)『知らせ#2』(2017/2/10-13@STスポット)
http://stspot.jp/schedule/?p=3351

神村最初「オーラ」とか「気配」とかそういうものをテーマにしようってなって、なんて言おうかみたいな感じで。「実験」って最初津田さんは提案してて、でも実験だとよくあるし、そこに対してどうその結論を引き受けたらいいか分からないとか、無責任になる感じがして。かつ、そういうものって単に実験するだけだと、本気の人にはどうしても勝てないって思って。だから本気モードでやろうよってなって「修行」ってことだったら出来るかなと思って。

木村そういう学びみたいなものにどんな言葉を当てるかで随分出て来るものが違うような気がして。「修行」って真剣にやろうよみたいな、あるいは磨くっていうか鍛錬を積んでいくみたいな。いわゆるワークショップが一回限りの、結果楽しかったみたいな感想がゴールになりがちなものからすると、ストイックでいいなって。

神村かつ、どこに向かってるかいまいち分からない。滝打たれててもこれが何になるのかとかあまり問うても意味がないみたいな感じで。やってることと結果があんまり結びつかないというか。でもやらなきゃいけないみたいな。

砂連尾レイヤーの変え方、前僕その映像で観たのは、忘れる……

神村『わける手順わすれる技術』★5

★5
神村恵・大脇理智・高嶋晋一(構成・出演)『わける手順 わすれる技術』(2014/10/4@吉祥寺Art Center Ongoing)
http://ameblo.jp/kamimuramegumi/entry-11915880640.html

砂連尾さっきの山登りを淡々と平坦なつもりで行くっていう形のような、山登りはこうだからとか、例えば踊りはこうだからっていうものじゃない身体、そういうことによって感じてしまう感情まで含めて、そこに違う刻み方とか違うレイヤーを見つけようとしてるっていうのは、神村さんがやろうとしてることがなんとなく……その手つきが面白いなと思って最近ずっと注目してました。僕自身はコンテンポラリーダンスを無邪気にというか、舞踊史的なことには無自覚に90年代半ばは日本のダンスの中で自由にやっていいんだみたいな、ヌーヴェルダンスという形で80年代半ばから、いろんなものが流入してきてそれを面白がってはいたけれど、ポストモダンとかまったく知らずに……

神村でもアメリカに行ってた……

砂連尾行ってたんですけど、僕、トリシャ・ブラウンの動きの流れ、ムーブメントに関してはすごく好きだったんですけどジャドソンとかのはあんまり研究しなかったんですよ。だからレイナーとかを知るのはむしろ、ほんと恥ずかしい話おそらくベルリンに行ってから。最初2005年に(神村さんに)お会いしたときは、僕が寺田みさこさんと実践していたのは、ポストモダン的な言葉で言うと非常にクラシカルな寺田さんの身体とある種モダン的な僕の身体のジャンルの異なる関係性の可能性を探ると言えば良いのかな、それまでの舞台ではそんなに一緒にやらなかった組み合わせの身体同士がどういうふうにある物語を作るかっていう。例えばクラシックバレエだったらクラシックバレエの物語、モダンだったらモダンの物語があるけど、それをどういうふうに混在させるかっていうのはかなり無自覚な形でやってたと思うんですが、それは結局のところダンスを物語的こと、その語り方にこだわってたと思うんですよ。神村さんの2005年の作品はまだ、まあまあ覚えてるんですけど……

神村私そのときはポストモダンダンス知らなかったほとんど。

砂連尾ああそう。

篠田さんが実践したワークショップのこと

木村今度は篠田さんの話を。

篠田私は逆にクライマックスを作るみたいな、「ファイト・クラブ」を作るっていうのをやってて。

神村それは最近ずっとやってるの?

篠田最近の持ちネタ。三日間あって、初日がご飯を作って、一人ずっと書いてる人がいて、何が起きてるか。で、ずっと書いてて、作り終わって食べて、一番最後に、ここまでで起きてたことを読む。たとえば「砂連尾が何々って言った」ってとこは砂連尾さんが読む。

神村読んで言葉で再現する。

篠田そうそう。二日目が領収書を使って細かいことをとにかく話していく。領収書で。なんでそれを買ったのかとか何に使ったのかとか。そのあとはその人次第なんだけど、スペインでやったときはみんな超慣れてる人たちだったから、自分も作る人たちだったからそのままスケッチみたいな、短いシーンを作る。そうじゃないときはお会計のシーンだけやる。新しく作って。で、三日目にファイト・クラブを作るっていうのをやるんだけど。

神村二日目と三日目はどうつながるんですか。

篠田なんでだろうね。わかんないですけど。

砂連尾僕はちょっと映像を見ているの、山口のスタジオイマイチでやってたでしょ。三日目のやつをちょっと観たかな。

篠田イマイチでやったときはまだ試行錯誤で。最近やっとまとまってきたんですけど。

神村ファイト・クラブは、その都度どう戦うかはその人たちで決めるんですか。

篠田そうそう。ゲームのルールを決める。スポーツかダンスに寄っていくんですよ。最初にまず戦い、ファイトについて短く20分くらいいつも話すんですよ。「最後にケンカしたのいつ?」とか「今まで手を出したことがあるか」とか。

神村確かにケンカってあんまり……

篠田しないでしょ?

神村しないしそんなに思い出さない。

篠田そう。したことないっていう人マジでいますからね。本当に。一回もしたことないって人。スペインにはいなかった。日本だとたまにいます。タイもたまにいます。

神村男性でも?

篠田男性でもいる。むしろ男性の方が多いかもしれないですね。怒らないようにしてるって人とか。このワークショップでは、新たなファイト・クラブ……『ファイト・クラブ』★6って映画があって、闘うのにルールがあるんですよ。それに倣って、ルールを自分たちで作りましょうっていう。20分話すと、大体ゲーム、スポーツみたいになるか、ダンスみたいに体の動きが出てくる方向のなんとなく二種類が出てきます。例えば、グルグル回って走るやつあるじゃないですか、棒を(頭につけて)こう回る。

★6
デヴィット・フィンチャー『ファイト・クラブ』(1999)
https://movies.yahoo.co.jp/movie/ファイト・クラブ/159307/

砂連尾棒?

神村棒を額につけて回って、で走るとこう……

篠田曲がる、みたいな。

砂連尾え、どういうの?

篠田・神村え、やったことないの?

神村棒を額につけて回って、そうするとフラフラになる。で、そのまま真っ直ぐ走ろうとすると……

砂連尾棒が要るのそれ?

神村いや支点を作るんですよ。中心を。

砂連尾知らない。

神村知らないの!?

砂連尾たぶん世代違うんじゃない。

篠田何でやってた? 何に(頭)つけてたんですか。

砂連尾普通に回ってただけ。

篠田棒ってじゃああれ、発明されたんですね。

神村誰かがね。発明したんだね。

砂連尾たぶん一回りくらい違うよね。

篠田でも世界中どこでもつけますよ。

神村あ世界中なの?

篠田スペインでも棒つけてた。

砂連尾約一回り違うから。

篠田まあいいや。スペインでやったときは、どんどんアイデアをとにかく、ブレストだから、どんどん出してもらって。最初は簡単な例を、私が指相撲とか割とみんな平等にできるよね、とかちょっと言って。でもジャンケンじゃ駄目なんですよねーとか言って。ジャンケンは違う、とか言ったりするとちょこちょこ小さい頃やってた遊びが出てきて、しばらくするとその人が知ってるルール、ゲームが出てきてそれが誰かのと合わさって……なんだったっけな、音を出して、音の真似がどっちが上手だったかを競うみたいな。例えばナイフを研ぐ音、とかいって。二人が(ナイフを研ぐ音)やって。どっちが似てるかみたいな。それでトーナメントを作って。最後の決勝戦だけは言わないでおくんです。内緒に。これは私がもう決めてるから。準決勝まではみんなで決めたので埋めていくんだけど決勝は言わなくて。で、決勝ではその場の雰囲気によるんですが、基本的にノールールでやりましょう、と、リングだけ作ってそれ以上のルールはない、そうすると、盛り上がるんですよ。

砂連尾ルールは自分たちで決めてるわけでしょ?

神村それまでは一緒のルールで進んでいくの?

篠田一個ずつ種目が違って。

砂連尾最後ルールなしでってなったときには、どう……

篠田それが面白いんですよ。どうやって勝ったらいいんだろうみたいになるわけ。

砂連尾ルールがないからね。そういうところで出て来るものっていうのはどんなことが生まれるの?

篠田男性同士だとほんとにばーって。

砂連尾本当に殴る。

篠田っていうのはよくある。男性と女性だと男の人が…… あ、そうだリングだけあるんですよ、決勝は。リングだけあって「お願い、ちょっとだけ出てもらえませんか」とかお願いする人とか。あとはバーッてとにかく何か言い始めるとか。一応何かの手段で、時間が決まってて、時間は30秒だか45秒だか短くて。だからぼんやりしてると終わっちゃう。

神村判定は誰がするの?

篠田私。判定します。殴り合いって言ってもやっぱりボコボコにはならないですよどうしたって。

砂連尾せいぜい武道とか、ケンカっていうかある種の……

篠田レスリングっぽいなにか。

砂連尾合気道っぽいとか柔道っぽいとかそういうことだよね。

篠田パンチはみんなしないですね。

木村そのプログラムはどういう狙いがあるんだろう? 全体として。一つ一つはすごく面白いし解釈はしたくなるんだけど、篠田さんの。

篠田一応「メガマイクロパブリックシアターワークショップ」って付けてます。

砂連尾日本語的にいうとどういうことなの?

篠田メガでマイクロなんですよ。でっかくてちっちゃい。

木村「公共性」ってことかな。

砂連尾今聞いててすごい面白いと思ったのは、密かな、例えばナイフをやるとか。密かな自分のフェチ的な楽しみとかこだわり、みたいなものが何となくそこで露わになってくるのかなっていう。それがひとつの、こういうレイヤーのルールっていうのがあったときに、いろんな祭りとかって元々はそういうところから派生してるような気がしてて。それを非常にプライベートなことから抽出しようとしているなっていう。ファイト・クラブってコミュニケーション的に新たなコミュニケーションツールをどう作り出すかとか。

篠田ハードルはめっちゃ高いですね。ファイトするっていう前提で。知らない人でしょ。

神村戦う理由がないもんね。

篠田そう。でもこれが一戦二戦やり始めると盛り上がるんですよやっぱり。

砂連尾ファイトって言ってるからある種の競い合いは誘ってるというか。ゲームに導入させてる。そのゲーム感覚なものに体が入っていくことって、これ良くも悪くも資本主義社会は、僕ら金を稼ぐとか良い点を取るとかっていう身体にものすごい流されてるから。それをファイト・クラブっていうやり方でまず引っ張り出してるのは戦略的に成功してるんだろうなって。やったら盛り上がっちゃう身体がまずある。

篠田そうなんですよ。

砂連尾そこではそれまでのゲームとか今の社会のルールとは違うものを作り出そうっていうか。アンチなファイトを。ファイトって資本主義的な形でいうと競い合うっていうものではあるんだけど、そうじゃないルールをどういうふうにやるかっていうすごいアンビバレントな構造をファイト・クラブは持ってるのかなって。

篠田よくそんだけ喋れますね。さっきの神村さんも、ポストモダンがとか言って。

砂連尾年の功な分、口だけ速いのよ。手練手管がね。足がそれくらい速く動くとね、ダンサーとしてはよかったんだけど。

篠田それで、アーキタンツっていう東京にある、めっちゃバレエやってる人たちが通うとこでワークショップやるんですよ。最近友達に受けてもらって私も見学してた、バレエ初中級とコンテンポラリーダンスとGAGAをやったんですけど。正解を分かろうとする、ってさっき話したけどバレエって正解ってもう分かってるじゃないですか。もうあるじゃないですか、これが正解っていう。だからバレエのレッスンのクラスではそんなに疑問に思わなかったんですけど、コンテンポラリーのアレ、なんていうんですか、アレ。分かります? 木村さん。

木村もうちょっと説明して。

篠田「シャッ」て、ふわって動くやつですよ。

砂連尾ちょっと前だと倒れて起きる的なね。

篠田で、今度GAGA★7に行ったら、GAGAって鏡見なくて何でも……まあみなさん知ってますよね。つまりそれって自分の中の持ってるイメージがつながればいい。でもなんかみんな動いてるんですよね、ものすごく。逆で、さっきのと。まあもちろんコンテンポラリーのコレよりは共有されてないんだけど。コンテンポラリーのアレはいつからどうやってあの動きしはじめるんですか。気になって。

★7
GAGA:https://www.youtube.com/watch?v=OGPG1QL1vJc

砂連尾僕はそこのアレには入ってないと思うんだけど。

篠田やったことはあるでしょ?

砂連尾アレ? 僕からするとコンテンポラリーダンスっていうのがスタイルで教えるってこと自体に疑問を感じるわけです。クラシックていうのは様式じゃないですか。モダンもそこまでないけど様式があるから、様式を教える先生みたいなのがいて、ここはある種の規範となるというか。そこから外れてるはずのコンテンポラリーダンスが生き延びていく術でスタジオに入っていくと、アレを編み出さないと教えたことにはならないわけです。

篠田なるほど。超分かりやすいです。

神村アレが出来るようになるとコンテンポラリーやってるんだっていう気持ちになる。

篠田そんな効果があるんですね。アレにはね。

砂連尾毎週、やっぱり何か積み上げたいわけですよ。スタジオに行くっていうのは。

神村なんか習得した、って。

砂連尾バレエのコレは出来ないけどコレ出来るようになった俺、みたいなさ。本来あれは全部、個的なものだったはずだと思う。個的な身体のものだったはずなんだけども、それを個的なことをやる人たちが……

神村型として認識してないのに、結果的に型としてやってるのが気持ち悪いってことだよね?

篠田気持ち悪いっていうか不思議だなーと思って。先生が指示していなくても、すでにあるイメージがあって、それはどこから来てるんだろう、っていうか。

木村今もどこかではそうかもしれないけれども、昔、舞踏のワークショップでは先生がそう指示しているわけではないのに受講生が率先して白目剥き始めるとか、動きがゆっくりになるとかってあったと聞きますが、先入観が身体運動を振り付けちゃうみたいなことですよね。しかも、それが神村さんが言うように自然発生的になってる不思議さっていうか。何学びに来ているのか。あれですよね、お医者に行って「どうしました?」って言って「風邪なんですけど」って言うみたいなもんだよね。先回りして自分の運動を自分で規定してしまうっていうかね。

篠田それで、どんなことやろうかなーって思ったんですけど、初日は自分の創作プロセスを体験してもらうっていうので『アントン、猫、クリ』っていう作品と、福留麻里ちゃんとやってたダンススコアを使った作品があるから……

砂連尾ハルプリンの。

篠田そうそう。『アントン』はやりやすいんですけどハルプリンのはみんなで群舞みたいにして。これここにかいてあるでしょ、はい沈んで、って言って。で、二日目にワークショップ。初日めっちゃ指示して。面白かったのが、ダンサーやってる人がスタジオになんで来るのかっていったら、指示が飛んで来るのがいいんですって。

砂連尾ダンサーは?

篠田ダンサー。

砂連尾つまりある種の振付ってことだよね。

篠田振付までいかなくてもなんかこう……

砂連尾ディレクションをかけられる方が。

篠田アップするにもね、これやってこれやってって考えるよりも、先生がいて次あれやってあれやってってやる方が負荷が少ないんじゃないですか。体の方も使える、のかなあと思ったんですけど。ま、とにかく初日はめっちゃ私が言って、二日目は考えてもらうっていう取り組みにしたんですけど。それはぜひBONUSでも。

木村その考えてもらうっていうのはどういう狙いがあるの?

篠田最初見学しに行って、めっちゃバレエやってる人たち見て、つまり指示が飛んで来るといいっていう……

木村僕もアーキタンツで3人紹介してもらって、そこに通ってる人に話を聞かせてもらったんですよ。要するに振付家っていうよりはダンサーですよね。そうするとダンサーの生態みたいなものが分かってきて、まさに篠田が言ってる通りで指示に応える仕事なんだよね。自分の作品作りたいですかとか聞くと、いや別に才能ないですから、とか言うわけ。ダンサーとしては評価されてる、才能があるんだけど自分ではダンスを作る気がないっていう。だからこの人たちに何か自分の創造性へと反省を促したりするっていうのは、なかなか難しい作業だなと。一般の高校生とか子どもたちとか社会人にそういうものを期待するより実は難しいことのような気がする。

篠田二日目のファイト・クラブ、ゲームは簡単でもいいんですけど、そのファイトのルール自体は。だけど意外とパフォーマティヴになるんじゃないかと思ってるんですけどね。

木村あーバトルが。

篠田バトルが。

神村競うってこと自体はみんな慣れてるわけだからね。

篠田爪先立ちでずっと立つみたいな。

木村すごい分かりやすい能力バトルになるかもね。

神村爪先すごい伸ばすみたいな。

篠田何秒持つかみたいな。

今後のこのプロジェクトのこと

木村神村さんには僕は事前に、ワークショップというテーマもありつつ、レイナーの『トリオA』を再現しつつ研究するっていうことに、ひとつ取り組んでもらいたいっていう話を今してるんですよ。

篠田こういうやつですよね。(身振り)

砂連尾なんか、いまのよかったね再現性がなくて。

木村昨年度ロイ・フラーを扱ったみたいに、再現のプロジェクトとも連動させて、ということをお願いしつつ……

神村あ、そうか、それとは別なんですねワークショップは。

木村いや、連動して全然構わないし連動してたらすごく面白いなと思ってるんですけど。まだ細かい話全然してないんですけど、さっきの高嶋さんとの取り組みの話も面白かったので、今何か思ってることとしては?

神村全然考えてなかった。ワークショップ……

篠田山にフラットに登るのやってみたいですね私。

木村いわゆるスタジオみたいな範囲を超えたフィジカルなのも面白いよね。

神村違う尺度を無理やり持ち込むみたいなのはバリエーション考えられますね。外で。

篠田『トリオA』を再現するって、あれなんかルール、タスク、指示書があるんでしたっけ?

神村いや、あれはね振りが決まってて。ルール的なのは客席見るみたいな。視線は絶対あっちこっち違うとこを見てて、こうパパパッと違うことが連なっていくっていう。

篠田じゃあ振りはもう決まってる。

砂連尾映像ユーチューブで上がってるのは全編? あれで全編なのね?

木村あれはでも少し後になって改めて撮影されたものではあります。あれをベースにしていいとは思うんですが。

砂連尾神村さんが振りを全部踊るの?

木村でも一度取り組まれてるんですよね。

神村そう、ちょっとやったことはあって。

砂連尾ちょっと教えて。

神村あれ見れば分かるじゃないですか。

砂連尾いやいや。あれ見るより、僕ね映像から解析するの苦手なんですよ。

篠田あーでも言ってた。中林さんていうやっしーっていう振付師、アイドルに振り付けしてる子がいるんだけど、二種類いるって。映像の方が覚えやすい人と映像だと写せない人と。

砂連尾今回そのワークショップをやるのに、今神村さんや篠田の話を聞いていて思うのは新しいルールを、それは別にマスに適用されるものではない新しい身体ルールを生み出していくというか、作り出していくことにつながっていく話なのかなーっていうか。

木村場とか関係を振り付けるっていう。3人にはこんな話しなくてもいいようなことかもしれないけど僕の中では最近、劇場的な関係っていうかね、舞台があって客席があって、客席の人は黙って見てて舞台上の人がパフォーマンスをしてそれを受け取るっていう構造自体に硬直したものがあるような気がしていて。あとワークショップとか稽古の場こそ豊かなものがいっぱい出て来てるような気がして。最終的に公演観る人っていうのはその一部分しか、本番の中で出て来るものしか経験できない。受身の観客ってすごい効率の悪いことをしてるというか、もったいない存在のような気がするときがあるんですよ。むしろそういう劇場関係みたいなものを崩した中で、作家のアイデアとかコンセプトとかを観客に浸透し、なんなら観客がより主体的に関われるような、あるいはアイデアを体験できるようなそういう仕組み。

篠田京都造形大学のどこでしたっけ?

木村studio21。そこが堅苦しければ違う場所に移動するとか大学の教室を使うとか。そういうことも含めて自由に発想してもらえるといいかなと思ってるんですよね。せっかく京都にいるんだから京都の山登るかみたいな。あとはワークショップはすでにみなさん行ってることだと思うんで、ワークショップをやるっていうところから、今まで人が感じてないアイデアみたいなものをポンとやってくれるといいかなと。さっきから聞いてる話の中にそういうもののほうがいっぱいあると思うんで、そういうところをギュッとシャープに出してもらうと、あ、なるほどなと。ワークショップというものが公演を打っていくアーティストの活動と違う豊かさを持っているということが見えてくるといいかなと。砂連尾さんと細かい話ができてないんですけど、今後のいろんな出会いはあればそこで発展することとか、誰にワークショップをするかとかね。砂連尾さんの今までの引き出しから何を使っていくのかみたいな。

神村さっきのロボットのやつとか。

砂連尾前回のBONUSでは「障害とダンス」という切り口で、YCAMのRAMと一緒にやったりとかっていうことの中でダンスの可能性を模索しましたけど、そういうことでいうとどういう形を考えてます?

木村熊谷晋一郎さんとYCAMとでやったプロジェクトの、そこらへんの話もあるけれども……

砂連尾ちょっと今度はね、違う角度から。ひとつは(神村さん)ポストモダンをもう一回ちゃんと再考する……

神村ポストモダンの人みたいになってるから。

砂連尾いや褒め言葉よ。その辺を飛ばしちゃったのが日本のコンテンポラリーダンスの、コレを編み出しちゃったみたいな。(篠田は)なんでハルプリンやろうと思ったの?

篠田見やすいんですよやっぱこれ(本)見てても。一番グラフィックスコアの中で。

神村読み解きやすい。

篠田そう。なんか分かるじゃないですか。何もわからないけどまだ。

砂連尾ワクワク感じゃないけど、なんか作れるかもみたいなね。ダンスってなかなかどう解析したら、ってところが。

木村ポストモダンダンスのある意味すごいクールな発想と、砂連尾さんが話していたようなスピリチュアルとも取れてしまう超越的なものとの関わる話が、二つのレイヤーとして共存して進んでいるみたいなことは面白いですよね。神村さんのさっきの伊勢神宮の話とかも遠からずそういうことを含むだろうし。

砂連尾ハルプリンもそうだと思うんだけど、身体をムーブメントをどう構築するかっていうフレームでやるのと、それよりはもうちょっと環境やタスクと絡めてダンスを考える、っていうことで言ったときにジャドソンの踊りとか比較的後者なところがあって、気とかそういうことって、動く主体としての身体というよりは(体を)通過点、メディアと考えていくって、そういう考えでいうとあんまり我々はそこに触れてなかっただけで、別に新しい発想というよりは元々あった発想だと思うんですよ。最近、僕はなんかついつい叩いてしまう人がいるんですよ。なんで叩くんだろうと思ったときに、僕がその人を叩きたいというよりは、その人が僕に叩かせてるなと思ったの。今回、猿とモルターレで協働した「瀬尾夏美+小森はるか」っていうユニットの小森はるかさんという小柄な女性を見てると何故だかいつも自然と叩くように手が動いてしまんです。なんで俺を叩かせるんですかって彼女に言うと、彼女からは何言っているんですか! って怒られるんですけど、僕の身体は彼女の存在や、身振りに接すると振り付けられたように叩いちゃう。そういう行為をあえて振りを考えていく上で、自分の体だけで考えるんじゃなくて、関係性の中で動かされてしまう振付、そこをどう発見していくか。体が動かされてしまう媒体を、メディアをどう発見するかっていうことは、ポストモダン的な形で切り込んでいくのであればそういう発想でやっていくっていうのもひとつかな。

篠田さんのこういう、体を動かすことを中心としてやってないけども身体をデジタルな形で入れながら動いていけるとするならば、動くことが前提ってある種の特権性を生んじゃうわけじゃない。特権性を生むってことは結局スターシステム的なヒエラルキーを生んでいってしまうかねないというか。こういう装置があって、自分たちでルールを作るっていうことがあって、ルールを作れたときに動かせる体があるっていう発想って、もうちょっと注目されても良いと思うんだよね。それが面白いなと思って。昨年の京都国際舞台芸術祭(KEX)で上演していた篠田の演出作品『ZOO』は、ある種のデジタルなところを入り口に、そういうルール作りなところっていうのは軸としてあると。舞台壁面に映し出されていた映像というのは彼がVRで見てた映像でしょ? それをみんなが共有しながら彼の体も見て、彼が見てる世界と彼の体を見ているっていう、そんな重層的な世界を周りの観客は彼と共有しながら舞台上に……

篠田あれをキャプチャーして彼の体、俳優になれるんですよ、あの画面をキャプチャーすれば。気持ち悪いと思うんです。見てる景色を、たとえばボールを蹴るとかがあるんですけど、丸があってむこうにバツがあって、丸見てるとここにボールがあるっていう。見えてないんですけどね。そのボールを取ってそこに置いてバツを蹴る。ってことをやるとお客さんは外から見てたはずなんだけど被ってる本体でもあるっていう。

砂連尾マッピングというか新しいマップづくり、マップから体をどう誘っていくかとか。マップづくりから篠田は関心があるんだと思うんだけど、その辺も面白いよね。

篠田あと『ZOO』でも取り組んでたんですけどジャスティン・ティンバーレイク? ああいうスタイルの、人がワンフレームに一人出て来て自由の動くみたいなPVのスタイル。あとファレル・ウィリアムズの「Happy」ってやつがあって、あれたしか24時間あるんですよね。初めて見たときビックリして。4分間、一般の人たちがワンフレームで踊りながら歩いていく、それが24時間分あったんです。

砂連尾ファレルの「Happy」はどんなふうに動いても踊ってるように見れるのよ。大学の授業で学生で試したんだけど、見れるし、踊ってる方も踊れているように感じると思う。だからあれは秀逸な曲だなと思うんだけど。他の曲だともうちょっとリズムに拘束されちゃうんだけど、「Happy」は阿波踊りでも曲に合っているように見れるんじゃない? 違うリズムが共存できるっていう、ナイスな曲なんだと思う。特に映像で撮って曲に合わせている動きを見せると学生が「あ、これでもいいんだ」って思うわけ。

篠田PVでもガシガシ踊るんじゃなくてナチュラルに一般の人が踊ってるみたいな感じありますもんね。

砂連尾木村さんの狙いとしてはこの3人から最初の動機としては、この3人にすることによって木村さんの関心事自体はどういうことが?

木村ワークショップの可能性の形が見たいっていうのは大きいです。3人に共通の何かがあるっていうよりはそれぞれの方が持ってる力が見えてくると広がりが出てくるなと。篠田さんは必ずしもダンスの作家ではないかもしれないけど、篠田さんみたいな人にダンスのことを考えてもらうことで分かることがあるだろうな思うし。それこそいわゆるダンサーとファイト・クラブがどういうふうにマッチするのかっていうの自体見てみたいし、そこから何か次のことがきっと出てくるだろうなと思うんで。今こういう青写真を描いてるっていうよりは、この3人で進んで行ってもらった先で起きることを拾いたいなという気持ちが大きいですね。僕自身もワークショップってまだよく分からないところがあるんで、いろいろな分野の専門家の方たちにインタビューを今しているところです。

篠田(砂連尾さん、神村さんの二人は)いわゆるダンサーに興味ないでしょ? 私めっちゃ興味ありますもん。みんな細くてスッとしてておもろい生き物だなと思いながら。おんなじ動きするし。

木村そういうとこもね、案外僕もブラインドであんまり考えてこなかったところなんでせっかくだから考えたい。つまりダンサーって生態。ダンサーって人の欲望って何なんだろうとか。なんとなく否定的に……

神村そこから離れよう離れようと。

木村ソリが合わない。むしろそこから得られるものがある可能性も考えたいなとか。少し仮想的なリサーチをしていきたいなと思うんですよね。その中で、学ぶ力みたいなことかもしれないけど。与えられてそれを自分の中で膨らませていく、そういうところの運動がもっともっと面白いものとして出てくると、単に観客という立場じゃないなにかが、一般の人たちの役割というか力みたいなものが見えてくるといいなというのが大きくあるんですよね。社会、広くいえばコミュニティーのことを考えていきたい。だから場づくりみたいな……

篠田(砂連尾さんは)どういうところから依頼が来るんですかワークショップって?

砂連尾公共ホール的なところからは割とあるけど、最近だと行政の、いわゆる福祉の関係とか、大学からの依頼も多いよね。昨日の公演のゲストで来てた愛知大学准教授の吉野さつきさんからも講師で呼ばれて大学にワークショップに行っていますが、彼女からは私のワークで学生たちの価値基準を一度揺るがしてほしいと言われます。学生たちの何か新しい視点に目を向けることになるためのワークを期待されているんじゃないかな。彼女は恐らく、学生を揺るがす存在としてアーティストを学校に招きたいっていうことを考えているんだと思う。

木村あともうひとつやりたいことがあって、ワークショップの講師って別に資格ないじゃないですか。だからみんな自己流でやってるところがあって、実はこのやり方でいいのかって不安に思うみたいな話を時々聞くんですよ。講師の人たちが、自分たちがどんなインストラクションを使ってやってるかをシェアする場みたいなのをやりたいなと思ってて。「どんなワークショップやってる?」っていう。だからコアな集まりになるかもしれないけどワークショップやってる人たち同士でどんなインストラクションをしてるのかを実際やってみながらとか。たとえば3人ぐらい呼んで3時間ぐらいで話を聞くみたいな。そうするとワークショップのアイデアが集まるんで。そういう会など開きたいんですよね。今の状況、もっとこうした方がいいんじゃないかとか、そういうことが見えてくるかもしれないし。

砂連尾僕、垣尾くんや佐久間さん、増田美佳さん等とダンス研究会を立ち上げて、今関心あるワークをやろうっていう会を昨年からしているんです。またそれとは別に朗読を一昨年から去年にかけて、映画監督の濱口竜介くんと、とつとつダンスの映像を担当してくれた久保田テツさんの3人で読書会をやってたの。その読書会では平倉圭さんのゴダールの本を音読で一冊読み通したら言葉が非常に体に入って来たのよ。それをダンス研究会の三人に新しい音読方法を考えるワークを一緒にやってみないって提案して、そういうのが昨日観て貰った舞台のアイデアにも繋がっているところがあるんですよ。たとえば垣尾君は(体を)揉みながら読もうとか言うんです。それで僕は揉まれながら言葉を聞いていると、色がどんどん浮かんでくるの。言葉を聞いてるんだけど、黄色、青、みたいな。そんなことをダンス研究会のメンバー同士で同じ文章を揉みながら朗読し合うと同じ文章でも違う色や意味が出て来るというか。朗読のことに限らず、研究会メンバーとはその都度の関心をそうやってみんなで試して、他人がやったワークをシェアする関係作りを重ねて、自分が学生とか関わるとき、そこで行った取り組みを結構やったりするんです。そういうことを今回の3人とも遊べるっていうのはいいよね。

神村なんで朗読やろうって思ったの?

砂連尾言葉をしっかり受け止めてないんじゃないかと思って。

神村いろいろ言ってるけど。

砂連尾普段、本とかもものすごいサラーッとしか読んでないんじゃないかと思って。しっかり腑に落とすように言葉を身体に入れようと。それを市民ワークの場でもやったの。経済の本で朗読会をやろうと。みんなでいろんな読み方を試してね。例えば、膝枕で読むとか。知ってるモードから。その次に、読んでるところを、体の方の声を聞こう、音読している身体の振動に耳を当てようとか。

神村たまに私、床に置いて前屈して読んだり。結構頭に入る。

篠田木村さんがお客さん全員で何かやるのがいいって言ってた時に、最初に思い浮かんだのは音読でしたもん。

砂連尾ほら。みんなも結構似たことを考えてるんだよ。

篠田言ったのが当たったんですよ。

木村みなさん、お時間となりました。本日は3人のワークショップの取り組みや課題意識、今後の展望が聞けて、実りある1日でした。これから始まるプログラムが、単なる打ち上げ花火ではない、継続性のあるムーヴメントになることを望みながら、進めてまいります。今日は、どうもありがとうございました。

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