BONUS

対話を通してダンスを捉える
インタビューズ
どうすれば作家の創作活動に観客は入り込めるのか?
神村恵「Lesson Class Practice」が試みたこと
聞き手:木村覚

2018年の10月にOngoingで上演された「Lesson Class Practice」を見た観客は、正直そう多くない。しかし、素晴らしい上演だったと、その場に居合わせた誰もが思ったことだろう。8年間続けた「ヨガ教室」をモチーフに舞台作品を作ったこと、それだけではなく、本作を優れて豊かなものにしていたのは、舞台端にちょこんと座っていたヨガ教室の受講生、鈴木雅子さんの存在だった。鈴木さんは、舞台の神村さんに自分のダンス観やヨガでえた感覚を伝え、その言葉を手がかりに神村さんはヨガをパフォーマンスし、ダンスを踊った。「プロデューサー」のポジションを与えられたファンが、アイドルたちに自分の思い(ダメ出し)を伝えるなんて設定は地下アイドルの話としてならば聞いたことがあるけれども、舞台上にいち観客が登場し、舞台上のパフォーマーと話し、そしてリクエストして、パフォーマーがそれにダンスで応えるという形式は、舞台芸術の分野において前代未聞だ。BONUSは一昨年、「ワークショップ」をテーマにプロジェクトを進めた。それは観客のあり方を更新するアイディアを求めたプロジェクトで、受動的にただ鑑賞しているのではない、劇場において主体的で能動的である観客をどうすれば生み出せるかについて試行錯誤した(そのプロジェクトには神村さんも参加してもらっていた)。本文にも出てくるが、そこで十分に果たせなかった思いを叶えてくれているような作品だと、僕は本作を見て思った。これは話を聞かねば、とも強く思った。そしてこのインタビューを終えて、僕は鈴木さんのような観客を生み出し育てることが舞台芸術の使命であると確信した。ダンスの未来はここにある。

参考資料
「Lesson Class Practice」動画:https://www.youtube.com/watch?v=gp-LIN6NAOE
「Lesson Class Practice」プログラム:http://kamimuramegumi.info/lesson-class-practice/


取材日 2018/12/21(FBメッセンジャーによる)
聞き手 木村覚(BONUSディレクター)


「Lesson Class Practice」が生まれるまで

木村どういう経緯で本作が生まれたのか、その点をまずお聞きしたいです。そもそもお二人はどのように出会ったのでしょう。

神村岸井大輔さんが「会議体」★1というイベントを小金井でやっていて、鈴木さんはそこに参加していました。参加者の悩みを岸井さんが聞き、みんなで会議し、具体的な解決の方法を案出するというイベントで、「肩こり」を治したいという鈴木さんに対して、「神村さんにヨガ教室をやってもらったらいいんじゃないか」という案が出て、ヨガ教室が始まったというのがきっかけです。そこに私はいなかったんですが、後日岸井さんから「ヨガ教室やらない?」って連絡が来たんです。

木村すごい無茶振りですね(笑)それが2010年のことですよね。

神村ヨガをしばらくやっていて、そろそろ教えることをしてみようかという段階だったので、ちょうど良いタイミングでもあったんです。

鈴木私は小金井市役所の職員で定年前最後の部署が文化行政だったんです。アートフル・アクション★2というその後NPO法人になるプロジェクトでArt Center Ongoing★3の小川希さんが理事になっていたころです。小川さんがそこで企画してくださったものの中に、神村さんのダンス公演があり、そこで私は神村さんのことをすでに知っていたんです。初めて神村さんのダンスを見て「ナンジャコリャ」「すごい魅力」「ナンダナンダ」ってすごいものだって感動していて、その神村さんがヨガ教室やってくれるということになって、絶対やりたいという思いになっていました。最初そのヨガ教室には大学生とか、近隣の高齢者とか色々集まって、始まりました。

木村なん人くらいの教室?

神村5、6人ですね。

木村参加者の出入りはあったものの、一貫して鈴木さんはこの教室に通われて、8年経ってこの上演が生まれたわけですが、ヨガ教室を上演作品にしようと思ったのは?

神村このヨガ教室は自分の創作に直結しているものだという意識はあって、いつか作品制作に生かしたいとは思っていました。鈴木さんは色々とダンス公演を見たり、私のワークショップにも意欲的に参加したりしてくれていたので、上演の企画を振ったら積極的になってくれるんじゃないかなとも考えていました。Ongoingの舞台に出ることが決まって、最初はソロを想定していたんですが、作品としてまとめるのが難しいなあという気持ちがあり、鈴木さんとの「教える/教えられる」という関係から何かパフォーマンスというか、観客の前でその経緯を共有するものができたら良いのでは、と。でも、いざ鈴木さんに声をかけると、かなりの抵抗があって……

木村そうなんですか。

神村それで、どういう形だったら作品に出演することは可能なのかとか話し合いを重ねて、最終的にああいう形になったんです。

木村鈴木さんはどうして神村さんからの提案に抵抗感があったんですか?

鈴木私は昔から表現者に対する憧れがあったんですけれど、でもできなかったんです。何度か少しやってはみたものの、私は表現者には向いていないんだな、表現者ではないんだなと、それを降りて人生過ごして来たんです。そんな私がどんな形であれ「表現者」として舞台に立つなんて無理よ、って。でも変な欲はあって、そのことを察して下さって、声をかけてくれていたんだなって思っていました。

木村でも、僕は「表現者」としてではない形で鈴木さんが舞台に存在していることに、その存在意義を感じました。

鈴木あ、もしそうであれば「救われたあ」って感じがします。小劇場演劇に興味があって、でも挫折して、だからそれは「やってはいけないこと」として自分の中にあったんですね。「演じてはいけない」「素でなければいけない」というか。それは自分の中で決めていました。

木村そういう鈴木さんに神村さんがああしたコーディネーションを施したことが功を奏したんですね。

鈴木私、好きなのが「演技」ではなく「ダンス」なんですね。ダンスならできるけれども、演技はできない、演者にはなれない。そういう私は、ダンスが好きなんです。

★1
会議体:https://www.3331.jp/schedule/000551.html
★2
NPO法人アートフル・アクション:https://artfullaction.net/
★3
Art Center Ongoing:http://www.ongoing.jp/ja/company/about/

鈴木さんの思う「ダンス」

木村その微妙なところ、もう少し聞かせてください。「ダンス」のどこが良いのでしょう?

鈴木んー、生きているこの存在、神村さんなら神村さんのこの存在があるということの素晴らしさ、それをリスペクトする私、みたいな関係ですよね。

木村あー、

鈴木演劇であれば演じている人(役柄)はその人本人ではなく「演じているもの」を見るけれども、ダンスはそうではなく、その人そのもの肉体的にも精神的にもその人を見せてもらえるというのが、私にとってはとても感動的なことなんです。だからダンスが好き。んふふ、うまく言葉に表せない。

木村えー、むちゃくちゃ的確じゃないですか! 感動して、今の言葉メモしちゃいました。最近ずっと「観客って何者なんだろう」って考えているんですけれど、私は「批評家」というちょっとずるいポジションから上演を見てしまうんですが、そういうのを外した「個人」として、いち観客として、人がダンスのなにに惹きつけられているのかが端的な言葉になった気がして、驚いています。演劇のような「役柄」をまとっていない一人の人間であるダンサーに「リスペクト」を捧げる、そんな気持ちで鈴木さんといういち観客は、劇場にいるんですね。

鈴木そうですね、ダンスを見ることで私の中の五次元が働いて、私はそこで「ダンサー」になれる、そう思えるようになったんです。人前では踊らないけれども、「踊らない、でも私ダンサー」、そんな風に「ダンサー」に自分もなれるって思ったんです。

木村神村さんが踊っていることを通して、自分がダンサーになれる。

鈴木そうそう、そうですそうです。

木村今回の上演の後半部分というのは、鈴木さんのダンス観やダンサー神村恵に対して鈴木さんが思っている感覚だとかをベースに構成されていました。それは、先の「神村さんが踊ることを通して、自分がダンサーになれる」というのが確かに実現されている時間だったという気がするのですが?

神村実は初日と2日目の2回公演、それぞれの構成が違うんです。木村さんが見た2日目のと違って、初日は「太陽礼拝」(ヨガのポーズ)のパフォーマンスをしたのが(2日目のように神村ではなく)鈴木さんだったんです。つまり、初日は教師と生徒の関係が終始変わらないという形式だったんですね。その初日のアフタートークでゲストの砂連尾理さんや観客と議論が始まり、要するに建設的なダメ出しがあったんですよね。それで2日目は「教える/教えられる」という関係性から私がなにを学べるかということへ問いがシフトする構成になったんです。つまり、逆に、鈴木さんが私に教えるという形で「太陽礼拝」を私が行うということになったんです。

木村そこで神村さんに鈴木さんが厳しくストレートな指摘をするところが良かったんですよね。「太陽礼拝」は3回行われ、2回目で指摘があったことを受けて神村さんが行った3回目は、その指摘を反映したとても良いものになっていました。それはつまり、見る(観客)側がダンサーに指示を行うという瞬間だったわけで、その関係性がスリリングで面白かったんです。

神村鈴木さんは舞台でなにかを行うということにずっと消極的だったから、どのくらいやってもらえるのか不安だったのですが、実際やってみるとスパンスパンとストレートな言葉が出てきて、これで大丈夫かなって。

木村そのストレートな言葉に観客は驚いたし、そしてそれを楽しんだし、その言葉の後の神村さんの「太陽礼拝」のパフォーマンスも楽しんだんですよね。

「ザ・ダンサー」を回避しつつ踊るために

神村さっき鈴木さんはダンスは役柄を演じるんじゃなくてその人個人を見るものだと言っていたと思うんですが、でも、皮肉なことにというか、今回、このような作品にした理由は、自分一人ではどういう役割をまとえば良いのか全く手がかりがなくなってしまうという問題点がそもそもあったからなんですね。鈴木さんを引っ張ってくることで、「鈴木さんを教える」という立場を獲得できるし、またそれは「ダンサー」と「観客」という関係でもあって、作品の中では「振付家」と「出演者」という関係も生まれるし、そうすると自分がどういう立場にいればいいのかということもとりあえず確保できるという。

木村なるほど。逆の角度からいえば、神村さんがそうした役割を抜きにして、素の神村恵個人として、いちダンサーとして、あるいはいち振付家として、ソロで舞台に立つということの理由づけや必然性を見つけることが、今、神村さんにとってあるいはそのほかの振付家にとっても難しくなっている、ということなのでしょうか?

神村それは自分が観客としてダンス公演を観に行くときも疑問に思うところですね。ソロで踊るというならなぜソロで踊るのか、どういう理由があってそこにいるのか、ということが気になるんです。ダンスを始めて間もないころとかだったら、純粋に踊り見るのが楽しいとか自分なりにダンスを見るポイントだったりとかあって、そこを探しながら見るとかしていたわけです。そこに踊る理由といった大義がなくても別に観れたんですが、もう少し作品単位で自分が創作するようになって以降は、そこに理由付けが欲しくなる、そこが気になる、ということが出てきているみたいです。

木村誰かが舞台に立って踊る。そしてそれを誰かが見る。そこでは、何やら特権的な「ザ・ダンサー」という役割をその人物がまとって踊る、みたいなことが劇場の構造上、自ずと起きているわけです。そう考えると、そこ(舞台芸術としてのダンスにおける見る/見られるの関係性)にも「役割」というものはあって、それは鈴木さんが話してくれたような生きているその存在を示すダンサーといった「役割」かもしれないけれども、それにしてもそういう「役割」を担って立つんだということ、つまり「ザ・ダンサー」の役割を信じて立つということや、観客の側では今「ザ・ダンサー」が目の前で踊っているんだということを疑わずに見ていられるときは、それで良いのかもしれない。けれども、僕も僕なりになぜ目の前のこの人が「ザ・ダンサー」の役割を今遂行しているんだろう(遂行したいと欲しているんだろう)と疑問に思ってしまうことがよくあるんですね。あるいは、この社会の中でなぜこの人が「ザ・ダンサー」を担うことになっているのだろうって疑問に感じてしまうことがあります。そうなると無邪気に見ていられなくなるんです。だから今回の「教える/教えられる」という「ヨガ教室」という設定は、こうした疑問が発生することを回避して、その上で神村さんが踊る(パフォーマンスする)余地を確保する、そうした装置の機能を果たしていたんじゃないかと思うんです。

神村形としてはヨガ教室をモチーフとしつつ、自分としては「ザ・ダンサー」的な立場でなにが出来るかを模索していて、鈴木さんという個人が見ているという限定した関係の中でなら、そういうダンスをある程度実現できるのではと思ったわけです。

木村「マイ・フェイバリット・シングス」を流しながら、神村さんが腕に意識を傾けて踊るというシーンがありましたよね。あそこなんかは、神村さんのいわゆるダンスが見れた貴重な瞬間だったという気持ちがあります。

神村鈴木さんの指摘があり、鈴木さんが見たいといっているので……という設定があって、

木村そうそう、だから踊れるという、ね。「ザ・ダンサー」問題ず発生する時というのは、この目の前の「ザ・ダンサー」によるダンスを一体が誰が見たいと欲しているのだろうって思ってしまう時なんです。仮に会場に多くの観客が押し寄せているとしても、観客なるものがとても抽象的にイメージされているダンスだなと思わされることがあります。その点で言うと、鈴木さんが見たいとはっきりわかって踊ると言うのは、とても筋が通っているわけです。そして観客は、時に鈴木さんの思いに共鳴しながら、神村さんのダンスが見たい鈴木さんと鈴木さんに促されて踊る神村さんとの関係を、二人に寄り添いつつ味わうというわけです。とても納得感がありました。それで、鈴木さんはどんな気持ちで舞台にいたんですか?

鈴木あの時はとにかくただ舞台にいればいいんだなと思っていました。神村さんはヨガの先生ですが、ヨガを教わっている時でさえ神村さんにダンサーであることを要求しているという気持ちが私の中にあるんです。神村さんがヨガのポーズをしていても私は意識としてはダンスを見ているんです。神村さんがヨガ(例えば「太陽礼拝」)をしている時にした言いたい放題の指示というのは、ダンサーに対する要求のつもりなんです。

木村なるほど。

「私の中にダンスが生まれる」という幸福

鈴木それと、そもそも私にとってダンスは、生きていく時になくてはならないもの、必須のものなんですね。それはダンスにかぎらずアート全般に当てはまることかもしれませんが。「生きている私」のためには今ダンスがなくてはならないものなんです。そのことを感じさせてくれるダンサーが神村さんであるということで、ダンスを見ることで私の中にダンスが生まれる、そのことが「私は生きている」ということなんです。だからもしダンスがなくなってしまったら、ほかに生きるすべが考えられないんです。「ダンス」というものが消えてなくなるということはないんでしょうけれども(笑)。

木村控えめに佇む鈴木さんの中になにか強い信念のようなものを感じていましたが、なるほどそんな気持ちでダンスを捉えているんですね。

鈴木「ダンスを見ることで私の中にダンスが生まれる」っていう感覚は、ヨガを始めてから自分の中に出てきたものなんです。ただ客席で見ているだけでは、なかなかこの感覚にはたどり着けなかったかもしれません。ヨガを始めて「私の中のダンス」が生まれて、「神村さんのダンス」と「ヨガ」と「私のダンス」とが繋がってきたかな(笑)。

木村すごい。そんなことがあったら理想的だなってお話を聞かせてもらっているという気分です。

鈴木少し美しくしているかもしれませんけれど(笑)。

木村もう一つ、本作を見ていて思ったのは、鈴木さんのポジションっていち観客のものとして考えるととてもリッチだなということでした。ヨガを教わりながら、上演では舞台に立っていて……

鈴木そう、本当にそうなんです! 私のために踊ってくれているってなんて贅沢な! 私を含めた高齢者がこういう形でダンスを知ることによって人生の最後のところをどんなにか豊かに生きられるかと思うんですね。コンテンポラリー・ダンスってわからないって思う人も多いので、どうしたら私の受けたこうした幸せを多くの人が享受できるようになるのか……木村さん考えてくださいよ。

木村だからね、僕は今鈴木さんにインタビューしているんですよ! 鈴木さんは「幸せな観客」のモデルみたいな人だと思うんですよ。コンテンポラリー・ダンスというものは基本的に劇場で公演するもので、だから作家たちは公演作品の制作に勤しむ。でもそれがダンスを社会に発信する最良の方法なのだろうかと問うていきたいんです。ヨガ教室を開いてもらって、そこで神村さんのヨガの中にダンスを見つけて、そこから自分の中にダンスを育むということを8年間も続けてこられた鈴木さんって、普通の劇場の慣習からはみ出たがゆえに、とてもリッチな経験に恵まれた豊かな観客だよなと思うんです。8年間ヨガを通して神村恵のダンスを見てきた、

鈴木そうなんです。

木村それは実に密度の濃い、豊かな経験だなあ。未来にあるべき観客像という気がしてしまうなあ。神村さんはどう思います? 鈴木さんみたいな方が10人いたら、50人いたら、アーティストの側は大変なのかな?

神村いや、より幸福感が増すんじゃないでしょうか(笑)8年やってきて、そんなにすごいモチベーション高く教えてきたというわけではないんですよ。でも、鈴木さんはコンスタントに来てくれて、次第に熱意が高まってゆく感じがあって、レッスンの前後に話したりもして、自分の公演も見に来てくれるのでその感想を聞かせてもらったりとかもあり、だんだん見る視点が定まってくる感じというか、鈴木さんの中で求めるものというのが割とはっきりして来たという印象があります。上演作品という形をとることで、鈴木さんの中にダンスがどういう形で高まっているのかを確認することができる、そういう気持ちもありました。

木村初日のアイディア、鈴木さんに「太陽礼拝」をやってもらうというのは、そういう確認の機会でもあったのかな?

神村そうですね。私が見たいというか、教室の中だと自分がお手本を見せなければならない分、鈴木さんをじっくり見る機会ってなかなか取れなくて、舞台に上げたらじっくり見られるし、それを見てどんな気持ちになるんだろうって関心があったんです。

木村じゃあ、鈴木さんの「太陽礼拝」を見て、神村さんはどんなこと思った?

神村舞台では私ではなく鈴木さんが自分にダメ出ししたんです。自分に指示をしながら自分がやる、みたいな。どういうことを意識しながらやっているのかを思い出してもらったりして、すると「エネルギーを天に放って、それを大地におろして……」みたいな(言葉が出て来た)。私そんな注意したことなかったんですけれど、鈴木さんの中にはそうしたイメージがあったみたいで、そういう言葉が出てくること自体が結構驚きだったりして。

木村観客として見ていて面白い瞬間だったのは、「教える/教えられる」の関係が反転する時でした。

神村ソロで踊るより、(本作の「教える/教えられる」のような)関係性を持ち込んだ方が、見ている方も色々と言いたくなるし、色々な視点が生まれるし……自分が満足する踊りを徹底的に追求するというやり方もあって、自分にもそうした欲求はあるけれども、作品なり公演なりという形で発表するなら、その中に複数の視点とその対話を入れ込みたい、と思っています。その対話が、見た後にも観客の中だったり観客と作者の間だったりで続いていくということを踊りと込みで考えていかないといけない、という気持ちになっていますね。

木村総論的なことを申せば、舞台と客席、上演と鑑賞、アーティストと観客の関係というのはしばしば一方向的な流れになりがちで、つまりエリート的なアーティストがそうではない観客にパフォーマンスを渡すといった「トップダウン」型になりがちで、その流れを撹乱するような仕掛けが本作にはあったと思うんです。言い換えれば、観客のもつ可能性を広げるようなアイディアが本作にはあったわけです。

神村BONUSのプロジェクトで昨年と今年の初め「ワークショップ」のことを考察して来たんですけれども、その影響が何かしらあったのではないかと思います。

木村私としてはあのプロジェクトで到達できたところのさらに先を見せてもらったような気持ちがあります。そうした思いも今日インタビューさせてもらいたい動機の中にありました。

神村観客「参加型」(の上演作品)って危うい面もあるじゃないですか。

木村確かに、一番良くない参加型の例を挙げれば、アーティストと一緒に作品制作できるとしておきながら、折り紙で鶴をひたすら折らされて終わりみたいな、観客の潜在的な力をほとんど活用しないものもありますよね。

神村見る側とのコミュニケーションを通して作品は作られてゆくものだけれども、同時に作る側の中で孤独に作業をするということもあって、観客を巻き込むことにこだわるがあまり、自分の中で考えきるということが手薄になってしまうこともありえますよね。

鈴木外国人の作家と共同制作した多田淳之介さんの作品をキラリふじみ(富士見市文化会館)へ見に行ったんですね。ホールみたいなところでお客さんが移動しながら、お客さんとダンサーとが入り乱れ、お客さんが作品の中に混ざりながら時間が進んでゆくというものでした。作品の中に紛れ込んでゆくことの気持ちよさはあったんだけれども、それとは違って、観客と演者は明らかに分かれているけれども、ダンサーのダンスを見ることで私の中にダンスが生まれたり、アートが生まれたりすることの方が生きてゆく上ではとても大切なところがあるのではないかと思うんです。一緒に溶けてしまうのではなく、私は私の中に、見る者の奥の奥の原点というか、そこに響くものというのが、生きていく原点になってゆくのではないかなと思うんです。

木村とても面白い。なのでさらに聞きたいのですが、原点を見つめることが何故生きていくことの中で重要なのだと思うのでしょう?

鈴木あのね……意識したり無意識だったり原点を持ってそこを感じる……神村さんから上演中に「丹田」の話が出たと思うんですけれども、それまであまり意識していなかったんですけれども、「あ、そう言えば「丹田」ってあるな」って思ったんです。丹田の中に私、もう一個梅干しみたいなものがあるんです。さらにその中に梅干しの種みたいなものがある。そこにダンスなりなんなりのアートが入ると、私の中の丹田の中の種があるということを確認することで生きて行ける。「生きる原点がつかめる」と言うか、あのそれが輝いたり作用したり、私の生きるエネルギーだったりが見出せるんです。原点の原点のところに響いてくる。で、私が輝く。と言っても、本当に光は出ないけれども、輝いて生きて行ける。と言うことは、一緒に溶け合うと言うやり方ではうまく感じられないんだけれど、アーティストを見ていると感じられるんです。

木村うん。

鈴木これは人々が生きてゆく上で、最も大切なことのように思うんです。このことをみんなが感じられるようになるためにはどうしたら良いんだろう。みんながヨガをやれば良いのか……わからないけれども。

木村いやあ、僕もその感覚持ちたいな、丹田の感覚、

鈴木丹田の種ですね。

木村「種」ね!

木村覚による「Lesson Class Practice」ノート

神村さんは自分がヨガ教室を主催していること、その経緯に、鈴木さんの存在が大きく関わっていること、鈴木さんは肩こりが激しく、退職して時間ができたこともあって、神村さんにヨガ教室を依頼し、続けていることなどが冒頭で話された。ヨガとコンテンポラリーダンスはその多義性において似ているのでは、というやや謎めいた重なり合いをおいた上で、鈴木さんがヨガを始めてから、自分の腕というものが単なる道具であることとは別にそれ自体動作目的から独立した存在であり、自分のものであるということに気づくようになったこと、そのせいで、ダンスを見るとダンサーの腕に意識が集中して、自分の腕をダンサーの腕と同期させながら見てしまうといった話が出てきて、そのエピソードを踏まえ、神村さんが「マイフェイバリット・シングス」に合わせて、腕に意識を集中させたダンスを踊った。神村さんがいわゆる踊りを踊ることはそれほど多くないので、踊る神村さんに見ほれていた。両腕に意識が向かいその分、腕が随分と大きくなったような見え方がして、不思議な体のバランスになっているのが、ダンスとしてとても興味深いものになっていた。もう一つは、鈴木さんが丹田が分からずにいるという話題が出てきて、鈴木さんは兼ねてから太極拳を習っていて、その時から丹田に集中して丹田は意識だからと言われてきたものの、その丹田がどこかよく分からないと説明してくれる。この分からないというのは、しかし、相当探求してきた末でのことで、単なる体の部位ではない、その意味で意識の所産である丹田を意識することの難しさを話してくれた。特に、丹田から下にラインが伸びて、地球を突き抜けてそのあとそのラインが戻ってきて、今度は天へと突き抜けていく、その感じが持てるととても気持ちがいいということが語られた。最後には、太陽礼拝というポーズの実践がなされた。鈴木さんが見る人となって、神村さんがヨガマットの上で太陽礼拝の一連の動作を行う。これ3回やったんだけれど、1回目は、鈴木さんから、ヨガ講師の指示としての動きという意味では過不足ないけれども、私は神村さんにダンスを期待しているので、ちゃんとやってください、みたいな結構厳し目な発言があって、2回目。2回目は、1回目に比べると腕の動きがしなやかに丁寧になっていて、なるほどヨガに微弱にダンス性が垣間見られると思ったのだが、鈴木さんからは、下半身が動いていないとまたもダメ出しが。3回目が実演され、すると確かに下半身の丁寧さが増し、より見応えのある、見せるものとしてのヨガパフォーマンスとなっていた。

鈴木さんという存在を多角的に捉えて、彼女の熱意とそこに宿るこだわりに、神村さんが感染して、振りを作るというところ、また鈴木さんが第一の鑑賞者となって、神村さんのパフォーマンスを見て、批評するというあたり、とても新鮮だった。パフォーマーと観客との関係というところに新しい光が当てられているという気がした。

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オーラルヒストリーの会 第1回
神村恵入門