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リローデッド「即興二番」
Part 2(2日目:2011/06/04)

ミュージシャンで批評家の大谷能生と私木村覚とで、舞踏家・室伏鴻の上演+ロング・トークのイベントを2011年に行った。このとき、まだ東日本大震災の動揺は大いに残っていた。この2日目では、佐々木敦さんもトークに加わり、1日目から更に展開した、濃密な議論が繰り広げられた。1日目と合わせてお楽しみください。


室伏鴻「即興二番」+ ベクトルズ:ベクトルズ・トーク

木村 ではそろそろ、ベクトルズと室伏さんとでトークを始めたいと思います。私は木村覚といいます。ダンス批評等々をやっている者です。今日はあと、佐々木さんもいらっしゃっているので、後でコメントを貰えたらなと思うのですが、基本的にはあと大谷さんと進めます。大谷さんです。ミュージシャンで批評家で、もうお馴染みだと思います。そして今日ダンスを踊ってくださった室伏鴻さんです。改めて拍手を。一時間程を漠然と予定しておりますが、トークをじゃあ始めたいと思います。
昨日も同じような形で、前半、室伏さんに踊ってもらって、後半一時間程トークを行いました。
昨日も一回踊ってもらって、その後トークをしたんですけれども、昨日いらしてない方も多いと思いますので、掻い摘んで言うと「間」っていう話をしたんですね。「間性」。まあ「間」って言っても色んな「間」がありまして、観客と室伏さん/ダンサーとの「間」の緊張感。また、室伏さんの中でも常に自分を相対化するような、自分と自分との「間」というのもあるだろうし、そしてまた、室伏さんお得意の言葉っていうことを考えると、動きと言葉を発するってことの間にも「間」っていうものがあるとか、或いは動きと、今日はとりわけ、昨日もそうですけれども、大谷さんにDJの、それもひとつのパフォーマンスだと思うんですけれども、ダンスと音、ビジュアルとオーディオっていうような、そういう色々な「間」がせめぎ合って、緊張感があって、いわばそれは、今日なんかとりわけそうだったんですけれども、「フロア」という言葉が出たりして、こういうその、お客さんとパフォーマンスのエリアとがかなり緊密な関係を結んでいて、いわゆる劇場の、舞台があり客席がある、その舞台と客席との間がかっちり分かれていて、舞台上にはイリュージョンが展開される、それを客席で黙って享受するというか、そういうセッティングとは相当違うダイレクトな関係があるかなと。

大谷 それはそれで緊密な関係ではあるんじゃないですか。ステージがあって客席がある、決まってるという。なんで、その緊密というのは当たらないのでは? 今日のステージに関していうと。むしろ変な緊密さがゆらゆらするというような。

木村 昨日の大谷さんの言葉で言うと「空吹かし」とか「空転」なんて言葉が出てきましたけれども、必ずしもなにか、お互いが強く了解しているような、共振的な関係というよりは、なんかこう、乗っていくと外されたりとか、すかされたりとかいうことも込みで、緊張感がある。

大谷 それは僕の体の中でも起きてるなあと感じるのと、それが全体の関係の中でも、わーって出る時があってびっくりするっていうことですね。

室伏 あの、えっと口挟みますね。昨日の話が続いてるんですけど、「私は他者だ」っていう言葉があるじゃない。アルチュール・ランボーの。だからそこからモダンが始まったということでしょ? その時そのランボーの「私は他者だ」って言った時の他者とは何かって言ったら「肉体」なんだよね。だから体っていう風にひとつのものが、最初から既に僕と別物の狭間にあるというね。私はそれを「裂け目」って言うんですけども、結局どこに私の中心があるかって言った場合に、必ずミックスされてるっていうか、そういう意味で言ったら街を歩いていてもそうだし、東京を歩いてたりパリを歩いてたりしてもそうな訳で、それがそのままステージに持っていけばね、伝統芸術なんてものはもしかしたら要らないのかも知れない訳ですよ。で、ヒップホップが面白いのかっていうとそうでもないと。わかりません。ヒップホップに関しては今の所。

木村 何で今ヒップホップにこだわったんですか?

室伏 いやいや今日のDJっていうのはどこから出てきたの、音の話……。だからDJの音で踊ったのは私は今日が初めてだし、昨日やったものと選曲は変えてないですけど、大谷さんが大変アダプテーションしました今日は。

木村 その話から今日は話そうかなあと思うんですね。音っていうのが昨日も話題になりつつ課題みたいな形で色々あって、実際トークの更にアフターで色々反省会でもないですけど、飲んだりしながら話してたのはそういうことを、今日はどうしようか、二日目はどうしようかって話だったんですけど、おおよそどんな話を大谷さんしてたんですかね。

大谷 ええっとなんでしたっけ。音の話は実はあんまりしてないかも。要するに昨日はほんとにぶっつけ本番、というか私機材を殆ど持ってきてなかった。で、室伏さんの方から一応これとこれを使いたいと伺った上で、色々やるっていうことで一回やってみまして、その中でつい癖が出てしまったんですね。単にかけるんじゃなくて、いつも使ってる機材でもあるので、どうすればこういう風になるみたいなものはもう分かっているから、自分の音に関しては。で、昨日もある程度触れたんですけど、室伏さんの、スムーズに進まなかったりとか、巻き戻ってるというか、すっとこうギアが入れ間違って止まってる状態とか、体の中で離散信号がかかってるというのを見てると、ついやっぱり音の方もそういう風にして、あんまり書き割りのようにしたくないということもあって、つい手を突っ込んじゃうんですね、トラックの中に。

木村 何かそれが昨日は比較的、室伏さんの出来事に合わせていくというか、ついていくみたいに見えた。

大谷 ああいう状態だったら出来るなって思ったということで、今日に関しては出来れば分かったんでもうちょっと積極的にいってみようという形でやってみたということですね。

木村 とりわけ印象的だったのは、最後の最後の転倒の前後辺りの音楽と室伏さんの、両方即興的に、大谷さんも室伏さんの動きを見ながらやってる訳ですよね。何かそのあたりで、昨日は比較的ね、室伏さんのドタンと倒れるっていうことと大谷さんの音との関係が、室伏さんがやったことに対してフォローする、そういう風に見えてたんだけど、今日はもうちょっと違うような、何ていうか関わり合いというか。ひとつ思ったのは、音ってやっぱりすごく強いなあと思うんですね。音がパッと消える、消えて、音楽的なものが何も聴こえていない状態の緊張感があるので、そこに集中出来るっていう面白さはあるんですけど、これはエンディングに向かう曲だろうっていう予想も僕たち観ながらしてしまうので、どうなっちゃうの? とかね。

室伏 今日はあれだね、最後ローランド・カークですか、差異〔…〕を出したよね。ちょっとタイミングが合っちゃった。だからそれはさ、昨日やった変えなんで、昨日はもっと違う終わり方をしてるんですよ。だから今日の場合は、何か私の即興も彼の即興も、ちょうどいいタイミングでプルルルルルッっていうサックスの、サックスじゃないかあれね、ローランド・カークって知ってますか、私の大好きな作家ですけど、ちょうどエンディングに入ったっていうか、そういうタイミングの示し合せてっていうのかな、それがない方がいいっていう考えもあるけどね、つまりだから違うまま終わるっていく方がやっぱりアクチュアルだっていうかさ、こういうことを昨日、木村君からもあったんですけど、つまり予定調和っていうか、やりましたよっていう曲のかけ方をされると面白くなくなるということを、大変心配してくれてた訳ですよ彼は。で、今日はそれが一致して、ああいうエンドで良かったの? っていうのをお客さんに聞きたいのは、絶えず俺としてはある訳ですね。

大谷 続きだから……。

室伏 続きだから、終わらないのは我々の問題な訳で。

木村 だからエンディングっていうのはすごい矛盾がある訳ですよね。終わらないっていう状態をある程度示しつつ、でも場を、差し当たりは終わらさなきゃいけない。そこでさあどうしようかっていう。

大谷 室伏さんが終わらないんだもん。倒れたところで終わるっていう話だったんだけど。

木村 右足が動いてるところでほんとは終わってる筈なんですか?

大谷 僕の感じでは、ずれて終わってたつもりだったら、だから放っておこうと思ったんですけど、ちょうど、あ、今かけたらまた次があるなと思ったらそのままきれいに終わってしまったっていう。

室伏 ああそう。そこ一番いい偶然だよね。

大谷 割と放置したつもりだったんですけど、つい〔…〕してしまったと。

木村 でもそういう出来事をこの二人がそうやって、息を合わせようとしてる訳でもないけど、無理に外そうとしてる訳でもないけど、さあどこでどうっていうようなことのセッションの、何ていうか緊張っていうか。

大谷 ほんとはもう一回あの曲頭からかけても良かったんですけどね。あと6分くらいあるっていう……。

木村 エンディングのはずがまた再開されるっていう……。

室伏 そっちの方がむしろその、ね、わかりませんけど今日観に来てくれたお客さんがOKで、もう一回やりなよとかね、そういう客観的なプッシュがあったら、もう一回やりましょうっていう、まだ昨日今日初めて(大谷さんと)会った訳ですから。

木村 普通ないですよね。エンディングを本番でもう一回ってね。

大谷 一瞬考えたんですけどね。

室伏 いやそれと、今日の話を、パフォーマンスについて話せば、途中で文庫本が飛んで来たでしょ。あれは昨日の酒場での話。でまあ、テキストリーディングということを……。 (中略)

室伏 実はエピソードだけちょっと言うと、芥がたまたま「無」っていう言葉を出したんでね、小津安二郎の墓って鎌倉の円覚寺にあるんだよね。で、それを見たフランス人がね、この間コラボレーションで知り合ったんですよ、ギタリストなんですけど。そしたら私はね、『Krypt』っていう大変残酷なタイトルを付けたの。『Krypt』って墓場だよね、墓石というか。そしたら彼はパッと小津安二郎の墓石を思い浮かべたんだと思う。で、どうせ私とコラボレートするんだったらば日本語のタイトルを付ける、で、これはどうだ「無」って聞いた訳ですよ、で私知らなかったからね、小津安二郎の墓が「無」って書いてあるって。そしたら聞いてたんだよね、Youtube見たら。それで「無」は一つじゃねえだろうって、私はその時言ったの。で、お前が考えてる「無」と、三島由紀夫が考えてる「無」も、私が考えてる「無」も違うから、「無」に括弧つけて「(s)」にしようって。そしたら読めない訳よね。

大谷 複数形ですよね。

室伏 フランス人だから。「ムース」とかいって。それで、「無(s)」“ムース”の後に、- krypt bluesって付けた。最終的には。それ今度フランスでやるんですけど。自己宣伝。今のはね、一応。

大谷 あ、今の宣伝ですね? えー、何の話をしようとしたか全然忘れてしまった。

室伏 佐々木さんていらしてるの?

大谷 後で。

室伏 いやどうぞ参加してくださいよ。昨日も観てらっしゃったの?

佐々木 はい。拝見しました。

室伏 じゃ、何か一言いただいて。

大谷 えっととりあえず、あと15分後くらいにしていただこうかと。もう少しあの、昨日今日の繋がりじゃないですけども、昨日色んな話題が出たのですよ。一番最初に木村さんが言われてた、室伏さんのその、例えばそこで待機されてて、30分前の客入れがある時から、もちろん見えないけれども、見えないけれどって言うのはおかしいですけど、どんどん関係性が出来ていくと。場所との。

木村 客入りの物音が聴こえて、その音とかを通して、観客っていうのが内側に出来てくるっていう、そういう話。

大谷 で、そういう形でも出てきて、また目の前にいる観客との間にもあるだろうし、それをやってる自分の、先ほど言ってた自分自身との間、「私は他者である」っていう形での、他者性みたいなものを消さないし、見せる形で踊っているなあというようなことを、私、昨日、室伏さんのお話を聞きながらそういうお話をさせていただいたんですけれども、やっぱりそういうコンテンポラリーダンス、まあダンスという体があって、どんどん自分が他人であるということをこの場でやっていく、他人になっていくというか。というのがやっぱり面白いなっていうのが木村さんの意見でもあるので、今日も観てて、基本的に昨日とそれ程、何て言うんですか、演目じゃないけれども、やったことはそれ程変わらないんですよね。なんですけど、やっぱり違うし、毎回その、質が違う感じがあって、二回観た人は面白かったんじゃないかなと思いますが。これは毎回変わるものですよね。〔…〕即興なんですから。

木村 違うっていうところで、一番違うのはお客さんなんですかね? お客さんが醸す雰囲気っていうのは大きかったりしますよね。

室伏 いやそんなことはないよね。体ですよ。体が先に違う。昨日がベストなコンディションじゃない訳ですよね、昨日も。だけど、昨日一発やったよねっていうのを繰り返せないっていうのかな、だからやっぱり体の方が先に追い越していくでしょ。で、忘れてた方がいいですよね。大谷さんの方がむしろ私よりも立ち上がりを〔…〕覚えてくれてたりしてね今日、〔…〕 で、私なんかはもう、どんどん抜けてってしまうみたいなことがあって、ここへ上がった途端に、まあインプロだってそうなんですけど、昨日やったことを忘れてはいないけど、忘れてはいないけどやりつつ思い出すみたいなところがある訳ですよ。で、それが非常に邪魔になるね。自分にとっては。だから二日やったり三日やったりするような時って、〔…〕さがあるだろうね、だからそういうのに揺さぶられたくない、フィックスしてしまって、コレオグラフィーにしてしまうとかっていう風になるんでしょうけど、敢えてそれをしないっていうか、少なくともだからこれだけは決めて〔…〕だけれども。っていうことで、でも体に絶対嘘つかないっていうかさ、その為の最小限のことでやった訳ですよね。だから今日なんかステージがなくたっていい、ステージ取っちゃえっていうことがありましたけど、実際そうなんで、昨日はこれがあったけど、今日はなくてやったってよかったんですよね。だけどそこまでは大胆に変えないっていうだけの話。だから当然ですよそれは。ある意味、お客さんが大事だって言えばもちろん大事だけど。

木村 いや大事っていうかね、そもそも昨日に比べると、発してくる音とか、言葉をかける人もいれば、笑い声が昨日より強かったり、雰囲気ってかなり違いますよね。で、それに否応なしにかも知れないけど、応答してる室伏さんがいて、その応答していかざるを得ないっていう部分とか、積極的にいこうっていう訳ではなかろうとは思うんだけれども、無視してしまうのは簡単なのかも知れないけれども、無視してしまう不誠実さを何かこう、執りたくないっていう風にも見えるんですよね。その観客のことがちょっと最初気になったので。でもその体の話はすごい面白いなと思うんですけど、昨日今日観ると、即興とはいえ全く違う動きとか、全く違うことをやっているばかりではなくてね、部分部分はやっぱりこう最初に登場してきて、そこで片足だけ舞台に上げてこうかがむとかいうことを、僕も見た瞬間「あっ、昨日そのポーズはやった」と思って。で、そのポーズが醸してくるものが、昨日とは違うだろうとか、それを確認しながら見ることがあるんだけども、にしてもいくつかのポイントっていうのは昨日と重なっていますね。でもそれを室伏さんはどう呼んでるんだろう、振付けなんですかねあれは。振付けではない訳ですよね。あれは何なんですかね、待ってるんですか。

室伏 自分にとっての、昨日「出来事」って話もしたんですけど、つまり体が一番率直に言って、さっき「他者」って言葉を使いましたけど、自分の翻訳装置って言うのかな、真っ先に自分が出会う事件ですよね。だから昨日と全く同じことをやったにしても、昨日と同じことは絶対なぞれない訳ですよ。私〔…〕全然。だから足を掛ける、右足だったか左足だったかもう忘れてる訳ですよ私は。昨日は左足だったか右足だったか忘れてるけど、左足から行ってああどっちかなあと思いつつこう回ってた訳だけど、それでその後ね、〔…〕壁に行くっていう〔…〕どうするかも考えつつ行ってるんですね。だからジャッジしてるのは誰なんだろう? っていうことなんですけど、そのジャッジしている体が晒されているんだと思うんだよね。それを「エッジ」っていう言葉で言ったりするんですけど、その「エッジ」っていうのは両方含んでるんだと思う訳ですよ、「私」っていう〔…〕的な私と、そうじゃないもっと〔…〕的なものと。

〔…〕

大谷 そういう状態を、ステージ上でキープする為には、具体的にはどういう状態になってる訳ですか。というのは内側が、離れたり近づいたりというか、例えば、意識が基本的には完全に動きというか、自分の動きに〔…〕時と。

室伏 そうですね、昨日重要な話になったのはある程度ナルシスというか、ナルシスって言葉は出なかったんですけど、恥ずかしさっていうことだったりね。そうすると、立ってるということの居た堪れなさみたいなものが、やっぱりあるというか、生まれてきたの間違っちゃったごめんねっていうのを、誰に謝ったらいいんだかわかんないっていうか、それに浸ってる人もよくいて、それをナルシスという訳でしょ。でもナルシスティックになる場所もある訳。ある程度持続性というか時間の問題もあるんでしょうけど、ある一定の動きをしてると気持ちよくなるっていうようなことがありますよね。で、ダンスにとってそれは欠かせないことだっていう人もあるんだけど、私はそうじゃないと思うんですが、そこにある程度ブレイクっていうのかな、亀裂を入れる、で、自然に亀裂が入ってきちゃうから、乗り越えようと思ってやっていくと快楽を乗り越えるじゃない。それにタラーッとやってるのが快楽っていうかナルシスだろ? だけどそれの手前に既に恥ずかしさがあってね、そこのポジションに行くってことをどういう風に解決つけたらいいのって絶えず思いながら絶えず思いながら動いているんですよ私は。だけどやっぱり自分の中で対峙しなきゃいけないっていうか。例えば今日も獣みたいなのやりましたけど、獣っていうのがポーズっていう形っていうよりもさ、その〔…〕フォームになるっていうことを、やっぱりこう、ナルシスとかっていうのじゃなくてね、あるフォームの提出として、持続していくっていうことなのかなと。何か、理屈っぽい?

大谷 いや、大丈夫です。理屈っぽい話がいいと思います。

室伏 だから言葉の問題に戻るとね、日本語をずっとしゃべり続けてるっていうことは、芥なんかもそうだろうけど、英語演劇じゃないんだよ。じゃないんだね、英語演劇じゃないですね。何ていうか、つまり外国語で演劇をするっていうか、そうすると外国っていうのはどこにあるんだ? っていうようなこともだから大きいテーマなんだけど。それが体なんだろうと。私はね。

芥(芥正彦氏) 例えばだから日本が外国で〔…〕しかないっていう実感を、日本語で日本人に告げるような、二重にひっくり返すような状態でつくる。

室伏 それは長い作業ですね。小学生に見せるのが一番いいかも知れない。

 そうなったのは世代的なものもあるかもわからないね。さっきの〔…〕きちゃったあたりの否定できない「無」の存在〔…〕

室伏 物質の問題ね、それは大きいよね。

木村 今ちょっとそういう話になったので、少しジャンプしちゃってみようと思うんですけど、今日室伏さん世代の方がいらしてて、昨日も40年振りですっていう、40年来の旧友、学友の方っていうのがいらしてたりして、室伏さんの世代が、例えば今話してくれてるようなダンス観とか、パフォーマンス観、或いは人生観なのかも知れないけど、を持っているのか、それとも、大谷さんや僕も話は分かるし、すごく面白いと思ってるんです率直に。で、更に今、小学生に見せると一番いいかもとか言うんだけども、そこまで行った時にね、小学生分かるかなあ? って率直に思う訳です。それは色んな意味で分からない可能性があるし、分かる可能性もあると思うんだけど、でも要するに世代的なものなのか、それとも世代を超えた、もっと何て言うかな根本的なダンスの問題なのかっていうのは、結構気になるんですよね。或いは室伏さんは海外で今活動していることが多いので、海外の人たちは室伏さんをどう受容して、どう解釈して、受け止めてるのかなあとか思うんですけど、ちょっとでもあんまりそういう話聞いてないからその話聞かせてもらおうかな、海外の人たち、いろんなコラボレーションをしてますよね、或いは観客でもいいんですけど、室伏さんのことをどういう風に受け止めてるかを、室伏さんはどう思ってるんですか?

室伏 誠実に答えれば、パフォーマンスやるでしょ、で直に私を見た人は率直にね、感想を述べる訳じゃないですか。それは昨日の話と同じですよ。やっぱり体がそこにあるってことは、直接そこに「感染性」があるってことだよね。またアルトーに戻るな、アルトーの〔…〕っていうんですか、生理っていうのはさ、腐るとかさ、一瞬腐ってしまうからやめてとかね、だから直に感染としてはありますよね、昨日〔…〕買いに行ったら大谷さんが気持ち悪くなった〔…〕ガラスを引っ掻く音なんだとか、ほんと身体的で痙攣を始めるっていう、他人〔…〕に直接それを伝染するというようなものだと思うんですね。で、その場面が一番重要だっていう風に私は思うので、そこに何か〔…〕「奇妙な」っていう言葉が付いてきてもいいし、あと残光〔…〕みたいな音〔…〕こと〔…〕が入ってきてもいいと思うんですよ。それを土方さんはね発見したんだと思うんですよ。私はだから革命みたいに思うんだけどね。〔…〕あとは今の木村君の質問に戻ると、ワークショップやったり、そうじゃないオブラートで、まあエキゾティズムですよね。或いはオリエンタリズムかもわからないけど、あ、BUTOHの室伏さんでしょって、そういうあるオブラートにくるまれたっていうか、というのは彼らの目線がやられちゃってる訳ですよね、それを剥ぐ操作をしなきゃいけないっていうか、でもその為には、私もいきなり出ていって寺山修司みたいなことはやりたくないんですよ。ね、だからそこでパッと、うーん……。今言った誠実さを見せるという訳なんですね。だから感染性がね、今日は強かっただろうかとかね、それはもう混ざり合ってる〔…〕から、そういうものはコントロール効かないと思うな。

大谷 結論としては海外でもある〔…〕そういった言葉は通じる話でね、感染であるとか、見てる人の体に移っちゃうこと……。

室伏 「移っちゃう」とかっていうマンガがあったじゃん。

大谷 それ「伝染るんです。」ですね。

室伏 ああいうの好きです。

大谷 そうですか。じゃあ、海外の世代の話を昨日も話したんですけど、例えば今10歳くらいの子供とか、または20歳とかっていう形で、まあ無理に切る必要はないのですが、そういう若い子が例えばワークショップがやり易いとか、40くらいにならないと出来ないとか、そういうようなことってあります?

室伏 それは年をとればとる程やりにくくなるだろうね。

大谷 やりにくくなる? 〔…〕

室伏 革命要員〔…〕としては若い方がいい。 〔…〕

室伏 あ、でも今失礼なことを言いましたけど、年齢的には私が一番年寄りだと思うよ。だけど、お年寄りをそうやって可能性がないとは思わないから、むしろどんどんどんどん近づいてくる訳でしょ。真理〔…〕ものは。だからその中ではそれに対する立ち位置っていうか、立ち方さえ見つければね、むしろ、開眼が〔…〕あるということですよね。

木村 レボリューションの話でいくと、その感染するっていうところもね、室伏さんのダンスの中ですごく重要な要素だけど、感染しつつずれてくる、つまり共振みたいなことを起こすっていうこと自体は、もうあらゆる表現の中でポップなものであれば一層様々な形で行われてる訳ですよね。つい一緒に腕を振るとかね、やる訳ですよ一緒に踊っちゃうとか、でもそこを更に逸れてくっていうプロセスまで込みで、切断していくとかさ、室伏さんの言葉、のような感覚まで、受け止めているのかなあというのを更に知りたいんですよ。

室伏 私自身が?

木村 いや、室伏さんのパフォーマンスを観た人、或いはワークショップに参加した人。海外であったり、世代の話でもいいんですけど。特にね、海外の人はそういう一種のオリエンタリズムみたいな受け止め方がやっぱり多いと思うんですよね、そうじゃなくて、そして共振の更に先に〔…〕今の室伏さんの話はそこだと思うんですけど。

室伏 〔…〕がやってる作品ですけど、両方とも〔…〕持続っていうのがやっぱり必要で、持続に乗ってくるでしょ。〔…〕あると思うんですけど、ちょうどお客さんが集中して、〔…〕時にバーンと止めちゃうっていう〔…〕踊りながらそれが出ちゃうっていうね、〔…〕今一緒にやってるバルタバスもそれを最初観たって言うんですけども、あれはもうびっくりしたって。ああいうものを一緒に作品つくる時に入れてくれよっていうような言い方もされましたけど、つまりはそれはやっぱり私〔…〕外っていうさ、言葉があるんですけど、外をずうっと一緒に引きずりながら踊ってるんですよ。外が〔…〕が外れるってことはありえない、また一方でね。でまた外にきゅーっと飛び出してくるっていうか、そういうイメージでぱぁって止めてね、今日だってあの文庫本がそうですよ。ある意味でね、ボーンと入った、大谷さんの介在っていうか、それに対してどういう対応で繋がるか〔…〕っていうのはその場で即決で決めなきゃいけない訳で、そういう、それはだから土方さんの好きなその「舞踏とは突っ立ったままの死体である」みたいにね、「危機に立つ身体」だったりっていう危機っていう言葉がね、危うさの場所に自分を追い込むというか、そうせざるを得ないっていうか、だから私が嫌いなのはボランティア〔…〕だよ今の。

大谷 また。

木村 危うさっていうものを、どれだけ見ないようにするか、ということにすごく今、色んな人の心が向かってしまっているっていう気はするんですね。「そもそももうなんか危機じゃないですか」とかね。「そもそも僕たち危機的状況なのに、なんで危機に誘うの」とかになると本当にもうこれは説得しずらいと思うんだけれど。でも同時にね、今室伏さんの聞きながら、すごい見たイメージを持ってしまったんだけど、子供たちが嬉々として室伏さんの背中から転倒する遊びをね、感染してやってたら面白いだろうなあって。

室伏 子供はもっと〔…〕とかさ、色々思い出しますけど。

木村 ほんとに、つまらないメタファーにするつもりはないんだけど、室伏さんの二日間のパフォーマンスを観てて、最近子供が出来まして、1歳4カ月くらい、そうすると息子が生きているその状態とすごく重なる部分があったりするんですよね。つまりほんとにルールとか常識とかないので、どんどんこういう物があれば口にしちゃうし、頭ぶつけてゴンっていい音したと思ったらどんどんぶつけちゃうし、そういう子供を僕は永遠見てられるんですね、面白いなあと思って。

室伏 危ないんじゃないかな。

木村 危ないところのギリ手前まで見ていたいとか思って、結構家の庭の土を彼が口にして苦とかやってると、まあ1分くらいはいいかなとか、暫くはちょっとこの苦さを味わってもらおうとか、思っちゃうんだよね。で、そういうことをずっとやってるのが子供だったりして、何かそういう部分、別に子ども性みたいなこと言うつもりは全くないんだけど、何かこう、外していくこと自体をね、子供は正に嬉々として楽しんでいるのかも知れず、何かそういう感染が起きたら面白い。

大谷 外があるってことはやっぱり内側もあるということだと思うんですけれども、それが常に、どこが縁なのかっていう、まあこれが縁なのか、モルタルは縁じゃないみたいな、でも、そこは外だったという事直し〔…〕を、普通というよりも、よく見るダンスのステージ上ではあまり見ないので、基本的にはこう〔…〕と決まっててそれをやるってことは、内側と外側のとり直しではない〔…〕ですね。パフォーミングは。

室伏 あの何だっけ、〔…〕人間の体の外部ですか、でもそれをググって中に入り込んでくる訳でしょ。そういうことでこう、自分がパーンと打ったものが外部なんだけども、既に内部っていうようなことですよね。だからすると痛みっていうのはしんどさっていうのかな、深く〔…〕負荷が〔…〕その強度って言ったりさ〔…〕わかんないですけど、〔…〕ある程度表現力の連続性〔…〕

大谷 見てるのも触れてるみたいなものだと思うんですけど、もっと〔…〕積極的に内側とか、〔…〕使わなくなった声とか、〔…〕ので、特に声、音とかっていう、室伏さんがステージ上で唸り声だけではなく、しゃべるとか、今日はテキストも読んでもらうっていうことをやってもらおうと思って〔…〕ですけれども、例えば内と外の中で、言葉が消えないまま〔…〕そうですが、言葉が出る時っていうのはどんな状況になるんですか? 外から来るっていうこともおかしいと思うし、内側から出るっていうことも言えないと思うんですよね。

室伏 それはだから昨日の木村さんの言い方で言えば「間」にあるんだけど、うーん……。

木村 流れって話もありましたよね。進行している時間の流れかも知れないし、或いは関係の流れ、うねりかも知れないけれど、そういう中で、こうやらざるを得ないっていうか、こうやるっていうことに自ずとなっていくということが連続していくんだっていう。言葉もそういう、手前で、なんかこれは言葉が出ざるを得ないなみたいな、そういうことの連続〔…〕なんですか?

室伏 喋るっていうのは絶対、客席とも関係あると思うな。これがパリだったら、フランス語ではぺらぺらやれないからね、英語でやりますよ私は。たまにおすとか言ってみたりとかするかも知れない……。

大谷 ということはやっぱり伝わる言葉で喋ろうというのがあるということですね。

室伏 そうですね。それはお客さんに対する接触であるということだし、自分を〔…〕する言葉でもある訳だろうけど。

大谷 耳から聴こえてくるものの、先ほどお話しに出た「感染性」は強いですよね、いきなり彼らの体の中に言葉が含まれて重複してしまう訳ですよね。

室伏 例えば逆に聞きたいですけど、私が喋んないっていうか、喋んないで、まあ、衰弱体と言ってもいいし、或いは胎児系と言ってもいいし、獣だったりしてるっていうので声を出さなければ、沈黙した獣になる訳ですよ。で、それをやりたいんだけれど、その獣が喋ることによってね、なんかやっぱりすごく今っていうものを動員出来るし、だからどっちが絶対いいっていうことはないな。

大谷 実際に見られる・見るだけの関係っていうより、もう少し違う次元を入れていくっていうことですね。声を発する、また何かを発する、唸り声もある運動のひとつみたいなことだと思うんですけど、意味のある言葉になっちゃうと、必然的にもう過去とか未来とか、時間が決まるってなって、実際動きっていうは現在形で動いてる訳ですから、この動きが過去の動きとか、未来の動きとか、全然違う意味付けも負うとされちゃう訳ですよね。そこでまた観客が混乱するというか、何だったんだという風に思ってしまうとは思うんですね。そういった効果は考えていらっしゃるんでしょうね。

室伏 あるよね。考えてるんだけど、例えば今日も咄嗟に文庫本が飛んで来た時に、これは私の方も処理はあれでいいだろうってなっちゃった訳だけど、そうじゃなくて読めば読むほど読めなくなっていくって昨日呑み屋で話したじゃないですか。そういう面白い時間になったと思うよ。そう意味で今日はやってない訳ですよねあれは。殆ど端折ったっていうか。次に行こうって感じになりましたけど。

大谷 でも随分あれも変な感じでしたけれどね。そういう複数性を導入する為の発話とか言葉のレベルも考えるでしょうけど〔…〕唸り声もそうでしょうし、単に見られる・見るというだけじゃない関係が客席間と出てくる、それを外すと〔…〕緊張感が無くなっちゃうということがありますね。そういう試みは他にないですよね。

室伏 あそう。

木村 昨日もなかなか室伏さんがこういうパフォーマンスをしてくれないと僕は「間」についての感性がどんどん失われていくというか衰えていくというか、経験が乏しくなっていくので、是非頻繁に日本でも踊ってくださいと言ったんですけど、ほんとにこういう時間っていうのを、僕はなかなか室伏さん以外だと感じにくいところが事実で、ということを昨日も話したかも知れないけどやっぱり室伏さんのみが可能な表現なのか、それとも一種の汎用可能な、汎用可能なものにしようとして振付けっていうのが生まれたのかも知れないんだけども、でも振付けとは違う形で、ある種コンセプトということかも知れないけど、コンセプトっていう形でこれを誰かが突然、違う形でいい訳ですよね、つまりダンサーが、或いは踊るとかパフォーマンスする肉体でやるっていう以外のやり方もひょっとしたら可能かも知れないんだけど、ともかくこれをコンセプトとして受け止めて、何か自分のパフォーマンスをする人が出てきてもいいと思うんですけど、そういうことはあり得るんですか。

室伏 まああり得るけどまたそれは……。

大谷 でもライン京急で、俺が一回喋り始めるとみんながびっくりするっていう経験が何回もあって、あれは室伏さんの影響を受けてるなと思いましたけどね。

室伏 何? 観てない。ライン京急?

大谷 チェルフィッチュの山縣太一君と僕とでやってる演劇・ダンスユニットなんですけど、僕が基本的に音楽をやっている立場で参加してたらだんだん台詞が増えてきて、いきなり僕が台詞を言い始めると「お前が喋るのか」みたいになるっていう経験がけっこうあって、それだけで結構面白いんですよね。で、僕は太一に言われたままやってるんで特に何も考えてないんですけど、山縣太一君が台詞を書いてきたものを必死になって覚えて、あるタイミングでそれを言う訳ですね、ステージ上で。そうするとみんなが「え? え? こいつも喋るの?」っていう風になるので、ちょっと面白いっていう。ちょっと面白いって何ですかその言い方は。ていうことをやってるんですね。

木村 ある種切断の話って感じですね。トラブルっていうか、ポンと異質な要素が入るとドキッとするっていう、その切断の話に近いですよね。

室伏 ちょっと私はあんまり……。何ていうか不勉強〔…〕なんで……。例えばチャンス・オペレーションとかってあるじゃないですか。その偶発性を絶対嘘つかせない為に……。何ですか? あれは。ジョン・ケージがなんかこう、何ですかあれ中国? 当たるも八卦、当たらぬも八卦……。

大谷 八卦を決めて、それを決まったままやってる。

室伏 そこら辺にしか解決法がないのかどうかっていうのがあるんだけど、それをタスクとかってよくみんな好きに言いますよね、そんなことやって何言ってんだ馬鹿野郎って思いますけど。あ失礼。

木村 だから室伏さんが持ってるすごく面白い部分はね、切断のアイデアって比較的あるんですよ。あるリズミカルなというか、優美な運動みたいなものをそのまま流さないで切断するとか。切断することで、何かこう異質な時間というか、そうじゃないことでは経験出来ないじゃないですか。でもそれは何かすごく、正にコンセプチュアルだったり、理屈を受け止めてその時間を了解するみたいな感じがするんだけど、すごくライブ的じゃないですか。正に即興でね、その場その場で緊張と弛緩というか、共振と切断みたいなことが不断に起きていくっていう。そこがやっぱりスリリングで興味深いという訳ですよね。それは殆ど理屈じゃなくても感じられる面は多いと思うんでね。そういうことをもっと見たい。そういう表現をもっと見たいと思うんですよ。だからもっと若手に知恵を伝授して促した方がいいんじゃないですか。

室伏 それをさ、ぱっと捕まえる人とね、いくら教えても「わかんない」っていう、それがあるじゃない。だからわかんないよね、だからそれはほんとに。

木村 まあほんとにそれこそ、そういうものをね、想像として与えるみたいなことではないですよね。

室伏 書き出すことは出来るんですよ。今言ったそのタスクっていうようななことで言えば、コンセプトのアイデアをいくつか私がつくったものがある訳でしょ、それを書きだすことは出来るんだけど、その為に日常からどうやってそこに追い込んでなきゃいけないかっていうエクササイズの問題も含めてやらないと、体は変わってこないよ。だから単にタスクだけね、その指示に従って石をここに置きましょう〔…〕、そうやって行為を見せられるけど、そこには感染性っていうものがないよね、コンセプチュアル・アートでもつまらなかったりするじゃないの。全部がつまらないとは言わないけど。体だっていうような問題が〔…〕されてるのか、その中に行為が含まれてるっていうけど、行為からはみ出してるよね、やっぱり体っていうのは。

大谷 だからそこを含めて教えられないのかな、ということですよね。

室伏 だから学校でもそういうのは出来ないよね。細江先生。

木村 でもだからそれって、単にダンスのアイデアが違うっていうよりは、もっと本質的なものだったりするんですよね。

大谷 もはやダンス……。いわゆるダンス……。

木村 お稽古事みたいにダンスを考えるということは、単にそのことっていうことじゃなくて、色んなことについてお稽古的に生きてる人っていうのがいて、それ以外の考え方を出来なくなっているっていう、そういうもう社会問題〔…〕というか、大きなそういうことがあって、でも時折室伏さんがやるとか、で、こうやって踊ってみたものについてどれくらい人は反応してね、ちゃんとこう……。いやすぐにはわかんないですよね、何だろうこれは! って思って、暫くしてじわじわと、あそこにあったものはこういう感覚かもなとかこう、何かそういうことをどれぐらいそれこを感染出来るのかなあっていうのは気になるんですよ。僕はこういう機会を6月3日、4日にやりたいと思ったのは、正に室伏さんがこうやって日本で踊るってこと自体がすごく大事なことだと思ったんですね。で、すごくいいセッティングじゃないかも知れない、状況としてはね。SNACって場所はいい所だと思うんだけど、でも室伏さんだったらほんとはもっと大きい所がというのかも知れないけれども、そうじゃなくてとにかく室伏さんに踊ってもらうってことが大事だと。それを通して感染がちょっとでもあれば、なんて思って、僕はやりたかったんですよね。

室伏 どうもありがとう。

大谷 そろそろ質疑応答その他の時間に移ります。今回ベクトルズでは何か思うところがあって壇上には上がらないと固持されている佐々木敦さん。

佐々木 佐々木です。客席から失礼します。このベクトルズっていうのは、ほんとは木村さんと大谷君と僕の三人でこのSnacという場所で定期的にダンスについてトークをするということを今まで何回かやってきたんですね。それで今回木村さんの発案で、室伏さんをお迎えしてこういう企画になったんですけども、そういう企画をやってる訳なんですが、僕はとてもこの三人の中で一番ダンスというものに対して詳しくなくてですね、関心はあるんですけれどもよく知らないことが多い。そのこともあって、昨日今日と僕も皆さんと一緒にパフォーマンスを拝見してんですけど、昨日観たのが生まれて初めての室伏鴻経験だったんですね。で、いきなり初めて観て、壇上に上がって一緒にお話しするっていうのは果たしてどうなんだろうというのを自分でちょっと思いまして、今回は客席の方からという風に最初から決めていたんですけれども。なのに喋ってるじゃんという風になるんですが。二日間来まして、ずっとこれ見てるだけだとほんとにただ観に来た人みたいになってしまうので最後に少しお話しようかなと思ったんですが。まず感想を述べさせていただくと、昨日今日二日間ですごい僕は興奮してしまって、大変素晴らしかった。昨日だけでもすごかったんですけど、二日連続で観るということによって浮かび上がってくるものというのが非常に多々あって、今日観終わった時には昨日のパフォーマンスが二倍っていうよりも二乗ぐらいになってるような印象があったんですね。それが何故なのかみたいなことを、質問みたいな形で出来ればと思ってるのですが、そんなような事情ですのでほんとに僕は昨日今日二日観たのと、自分が関心し続けてきたみたいな〔…〕形での質問の仕方になってしまうのですが。僕は最近ですね『即興の解体』というタイトルの本を出しまして、それはまさに昨日今日のこのイベントというのが『即興二番』という風に題されてるんですね。それで昨日今日のトークの中にも即興という言葉がある種のキーワードとして出てきました。それで僕が書いた『即興の解体』という本はちょっと変わった本でして、解体というのが二部構成になっていまして前半は解体工事の「解体」、で後半は赤ちゃんを孕むという時の「懐胎」ということで同じ読みなんですけども別の漢字が充てられていて、前半が音楽の話、後半が演劇の話になってるんですね。で、本の内容をというよりもその本で何をしたかというと、「即興というものは不可能である」と。というのは別の言い方で言うと「やるつもりでなかったことを、やろうと思ってすることは、やはり出来ないのではないか」っていう、考えてみれば当たり前のことをですね、色んな角度から何回も何回も繰り返して書くということをしたんです。で、即興というのは正にその起こすつもりで起こす、つまり予想されていなかったことをいかにその場で起こすのか、ということになってくると思うんですね。で、後半も演劇の話で、演劇の話の中に少しだけダンスの話も出てくるんです。で、演劇とダンスというのは舞台表現という意味では同じだけれども、いろんな意味で違う。形式的にも違うし歴史的にも違う部分がある、という風になってると思うんですけれども、僕の無理やりな解釈だと、この二つには非常に似たところがもちろんあると。それは例えば言葉で言うと、それは本の中には書いてない言葉ですが、例えば「振りをする」という日本語の言葉がありますよね。で、日本語で「振り」っていうと、さっきの「解体」じゃないですけれども、振付けをするっていう「振り」というのと、誰々の振りをするっていう「振り」というのと、両方「振り」っていう言葉に入ってくるところがあって、「振りをする」というのはつまり一方では、何か振付け的なことというのをする、もう一方では演技をするっていうような意味があると思うんですね。で、そこの「振りをする」っていうことだけを取ると演劇とダンスっていうのはやっぱり似てるところがあるんじゃないかなあという風に思う訳です。それで、さっきの「即興」ということで考えると例えば舞台上で、どなたかが何かをしているという時に、ここでは単に何かをしているということと、その、何だろうな、それをして見せているっていうことと、そのして見せてることによって何事かを表象しているということの、三重のことっていうのが常に行われていると思うんですね。それは英語で言うと、例えば「doing」と「performing」と「acting」みたいなことになってきて、それが大体いつも一人の人間がやっていることの中に、三重に畳み込まれている部分というのがあると思う訳です。だからその「振りをする」という言葉も、ダンスが「振付け」の「振り」で演劇が「誰かの振りをする」の「振り」じゃなくて、その両方がどっちにもバランスを変えてあるんだって思うんですね。で、僕、昨日観て、最初はほんとに何の知識もなく観ていたものですから、最初すごい緊張感てとこで始まって、すごい緊張して観てたんですけど、あの、急に喋り始めてですね、すごいびっくりした訳ですよ。で、その「振り」って言葉は、例えば別の言葉で言うと「虚実」みたいなことがあって、舞台表現ていつもその場で起きる訳だから「実」なんですけど、「虚」っていう要素が必ずどこかに入ってくると思うんですね。で、昨日僕がすごく印象的だったのは、今日も少し出てきましたけど、妹さんの話を少しされて、そのお話でやっぱりどうしても僕らはある種のウェットな感覚というのが生じるんですけど、で、それは指が抜けないっていう話にそのまま繋がっていて、指が抜けないっていうのを、途中で、指が抜けないっていうのは抜けない振りなのかな、それとも抜けないのかなっていうのは、わからなくなってくるじゃないですか。で、それのわからなさが妹さんの話にまで翻って行って、結局室伏さんが話されてること自体が、何が本当で何が本当じゃないのかっていうことが、どんどん曖昧になっていくっていう感覚がすごくスリリングだったんですね。で、「即興」というからにはその場で起きているんだけれども、昨日の話でも、舞台上でもある意味「こうしようと思ってこういう風にするんだ」みたいなことを、例えば転んじゃった時でも、転ぼうと思って転んだんだ、みたいなことを仰ったりとか、何か色んなところでその何て言うのかな、一応考えられてることと、その場で急に予定が変わっていることと、その辺がすごくこうスリリングに混じり合ってるなあと思った訳です。で、その中にまた何かすごい意図せざる色んなトラップみたいなものがあって、例えば昨日、指で、その指が抜けないという時に、室伏さんずっと薬指が抜けないって言ってるんですけど、抜けないの中指だったりとか、今日も二回転んで、二度あることは三度あるって言った後やらなかったりとか、何かそういう、どこまでが本当なのかわからない感じっていうのがあって、それがやっぱりその刺激的なんですね。それでも昨日と今日の二日観ると、やはり同じことをなさってる部分があって、同じことを違う形でやってる部分があって、或いは昨日と今日の大きな違いは、今日のトークでも何回か出たあの『死の棘』ですけど、最初にこう本を投げられて、「狂った奥さんの話です」っていう風に言われると、日本文学で狂った奥さんの話で有名な本って『死の棘』か『〔…〕』ぐらいしかないので、どっちかだろうと思って、何だろう? この後何するんだろう? って思うんですけど、何か殆ど無駄にしちゃって終わっちゃってる訳です。で、それが逆に興奮する、つまり二日間あるんだけど、二日間また違ったことをするかも知れませんって言いながら、同じことをやるってこと自体も意外性だし、そういうやると見せかけてやっぱり違ってくるのも意外性だし、そのようなことを、それでもある準備はある訳じゃないですか、プリペアドみたいな話がありましたけど、だから舞台に上がる前までには、何かの計画はあるんだけれども、それがやってる間に例えば何かを思いついて、やろうかなどうしようかな、やろうかなどうしようかな、っていってやっぱりやるとかやっぱりやらないとかそういう判断や、或いはそういう判断もなしに突然何かをしてしまうってこともある訳ですよね。で、そういうようなことの、予定されてたりある程度こういうことがあり得るなっていうことと、実際にやってしまうことの間の何だろうな配合は、その実際に例えば一時間弱ぐらい舞台上でずっと演じていながら室伏さんの中でどういう風にコントロールというか、腑分け〔…〕振り分け〔…〕をしてるのかなあっていうのがすごい気になるところなんですけど、多分、昨日今日のトークとか、質問とかをまた蒸し返してる質問になってしまってるかも知れないですが、その辺はどうなんですかね?

室伏 いや率直に断れば〔…〕いい、そうやってコントロールしてる部分にコントロール出来ない部分があるっていう、それから思考っていう問題もあるよね、思考からの設定〔…〕とか、思考すればする程思考出来ないっていうことを思考してる。だからダンスについても、舞踏っていうのは最初に、まあ土方さんはあれだよ、私が認識を持ったものというのは、つまり踊らないダンスっていうようなことだと思うんですよ。で、その視点でつまりダンスというものは、常に否定されてた訳だよね。ジャンル〔…〕としては。そうするとダンスの外っていうダンスを見付けなければ、アヴァンギャルドと言われない訳でしょ。で、実際それを〔…〕でやったのが土方さん。だからつまりさっき言った〔…〕と言いましたけれども、そこに関わってくる訳。だから絶えずその地点というのは、まあある意味〔…〕「0」なんだけれど、コントロールとコントロール出来ない部分が重なってる部分じゃ〔…〕ないですか。

木村 だから僕が思うのは、昨日も言ったことなんですけれど、佐々木さんの質問は、正確な答えが欲しいっていうよりは、その配合自体がすごく気がかりになる、観客にとって。魅力的な対象。

佐々木 〔…〕深めること〔…〕によって、極まってくるものがやっぱりある訳ですよね。例えば全く同じだったら全く同じだったで驚きかも知れないし、その何かこう、繰り返しっていうことの中に生じてくる何か違いみたいなものっていうのは、すごく何か独特な形で出て来ていて、それがすごく興奮するんですよね。

室伏 また別の〔…〕自分の〔…〕話ですけど、昨日話したキャバレーっていうのがあったでしょ。だからそれは〔…〕なんだよね。私も最初の体験がそういうものでキャバレーっていうダンスとね、自分が実際にキャバレーで踊るっていうことを、それはまあ例えば土方巽が最初に私に見せたのもの、一番強い体験というのはやっぱり即興ですよ。で、なんだろうこの人って、即興が、日常的なはみ出しがいくらでもある訳じゃない。で、それを更にはみ出しちゃうっていうか、ある意味過剰さって言うんですかね。だからそういう所まで日常の中に〔…〕ようとする。だから更に〔…〕だからそれはまあ、土方さんが秋田の田舎から出てきたっていうことの中にね、強くあるんじゃないかっていうか、その何て言うんですか、歓待〔…〕ですよね、歓待。だから他人に対して、ちゃんとジャッジしますけど、あっという間に、この人捕まえよう〔…〕と思ったらすごい使う〔…〕。だからそこで即興を始める訳ですよ。だから俺が、来てくれたよかったね。という直接の声〔…〕があって、実際にこう、しょうゆ、なんですか? ご飯の上に何かこうばーっとかき混ぜてね、食べてみたり、わーっとアクショニストになっていっちゃうんだよね。そういうことがすごく強い。踊りの現場に行ってもそういうことがあったし。だからそうすると土方さんの一生懸命そうルール化していく作業よりも、そうではなくて突発的にですね、happenerだよね。だからhappenerとして何か自分から具現化していくというのかな。それが歓待だろ? っていうようなことだよね。で、今そうじゃなくてもう一つ言おうとしたんだけど……。

A 室伏さんマイクのスイッチ入ってますか?

室伏 入ってると思いますよ。あ、入ってない。えーっと?

佐々木 ていうのがすごい見たいっていうような。

室伏 だからそれはさあ、土方さんじゃないですよ私は。あでもキャバレーの話してたんですね。キャバレーっていうのはある種そういう意味を、切羽詰ってね、教え込まされる場所でもあった訳。とことがそこには「芸」っていう問題が出てくるでしょ。さっきの〔…〕ぽいというのはいいと思うんですけど。で、それを裏切るっていうのかな。もう一つないと、収まりつかないというか〔…〕、そうするとね、やっぱりプロであるというのがある。キャバレーって。そのプロフェッショナリティーって一体何かっていったらそういうことになるよな。お前がやってるダンスってダンスじゃねえじゃないか。そうするとキャバレーなんてこれ(ヤクザ)が出て来てさ、〔…〕でおはようの仕方がちょっと間違ってるんじゃないか? お前って、ばってやられるっていうことがあったんですよ。だけど、そうやってお辞儀の仕方からアマチュアかプロかって分かるから〔…〕だからバンドもそうですよ。バンドも持ち運びの仕方が〔…〕わざと手を〔…〕外されたり、そういうこともあるんだけど、そうするとその中にプロとアマみたいな二人がある気がするの〔…〕。で、私がその話でいいたいのは、アマチュアこそ絶対的なプロっていうかさ、であるべきだっていうことに話を持っていきたかった。

佐々木 歓待っていう今の話は、もっと一般化した言い方で言うと、要するにコミュニケーションみたいな、その舞台上と、昨日もそういう話ありましたけど、舞台上と客席の「間」みたいなところの中で、何かが起きると。つまり最初から、こういうものお見せますよと、どんな人が来ようとこういうものを見せるということを俺は決まってるんだということでやるっていうパフォーマンスもあるかも知れないけど、そういうことではなくて、その時その場に、観客のことをどれくらいわかってるかは別にしても、まあいる訳ですよね、で、その中で一体どういう、まあベタな言葉で言うとコミュニケーションの中でどれだけ楽しませるかみたいなことが出てきた時に、楽しませ方っていうのはあんまりこうテクニカルになっていくと、プロになっていくと、皆似てきちゃうっていうか、皆同じような形ですごい芸を見せてよかったねって話になってしまうんだけど、そこからそういうある種の何て言うのかな、クリシェみたいなものに陥らないで、一体どうやって、芸を〔…〕楽しませるかっていうことに逸脱していくと、どんどんどんどん可笑しなものが出てくるのかなあという気もするんですけど。

室伏 逸脱ね。

木村 だから笑いって結構あやういっていうか、笑いって、微妙なところじゃないですか。笑いが発生すると何か出来たような気がしちゃうっていうか。それをこういかに潰してスーッと引けて、別のことをやるかっていうのは、何か今日そういうとこ……。

佐々木 だから例えば、今、今日ここの客席にも、えっと僕が最初にあの超素人宣言みたいなことしたんですけど、室伏さんを直接ご存知の方や、或いはそうではない今日初めて観た人や、色んなタイプの方々がいる訳ですよね。で、そのあるタイプの、つまり室伏さんに対する関係性がある程度大体同じような人たちしかいないような状況だと、当然そのやり方っていうのは、まあそういう人たちにはこういうやり方でっていうのが、或いは裏切り方っていうのも、まあ分かってくるじゃないですか。でもやっぱりそういうことはおそらく稀にあって、必ず色んなタイプの人がいるっていうことの中で、どれだけそういう歓待と逸脱みたいなことをしていくのかな、っていうのが、結果的にやりたいようにやるっていうことなのかもしれないんですけど、それを昨日今日観て、昨日は特に、客席にものすごく外国人の方が多かったんですよね。今日はあんまりいらっしゃらないみたいですけど。何かそういう色んな状況の中で、全員にとって、ある種の心地良い裏切りであるようなことが不断に起きていくっていうのが、一体どうして可能なのかなっていうのが、興味としてあった部分なんですよね。

室伏 どうもありがとう。


ベクトルズ:2007-2011年に活動していた佐々木敦、大谷能生、木村覚による批評ユニットのこと

〔…〕:聞き取りが難しかった箇所

(文責:BONUS、文字起こし協力:上野晃代)

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