BONUS

イラスト:新井祥

映像のダンスを制作する
連結クリエイション
岡田育さんに学生たちが聞いた
「性愛と表現」とくにBLのこと
(2)

今回は、岡田育さんに大学にお越しいただいた際に、学生インタビューの後で、あらためて岡田さんと木村とで対話をした模様です。

さっきまで、女子たちだけの世界で、BLを読む女子たちの生態を解明していた空間に、男性が一人いたことを思い出してもらいながら、もう一回別の視点から、女性向けの「性愛と表現」について、多角的に対話していきました。

(木村覚)


木村

みんなと岡田さんとの対話が終わって、さっきまで僕は岡田さんと話していたんだけれど、そのときの話をまずしますね。先ほど「青春アミーゴ」を歌う男の子ならば丁寧に説明すれば腐女子のこと分かってくれるのではっていう話がありましたけれど、僕の同世代か年上世代だったら『あぶない刑事』っていうバディものの刑事ドラマの話をすれば一発で分かるって岡田さんが言ってくれて、僕はまさにそのドラマ大好きだったんですよ(笑)。中高生ぐらいの頃再放送で夕方にやっている放送を楽しんで見ていた。ただその時に、岡田さんの話でいう「恋愛陶酔型」か「腐女子型」かという区別を当てはめられない、仲の良い友達とワイワイやることに没頭して生きている、僕はそういう生き方のタイプだった。「恋愛陶酔型」に近いけれど、言うなれば「人生陶酔型」というか。そのタイプを反芻する1つのサンプルとして『あぶない刑事』があって、ドラマを通してそのタイプを追体験するということはあった。

木村

つまり木村先生は「俺にもバディがいて、あの2人みたいにわちゃわちゃ仕事ができたら最高だぜ!」と思いながら『あぶない刑事』のタカとユージを見ていたという感じですか?

木村

そこまでは自分に照らしてみたり、あの2人を客体化できてなかったと思うんですよね。ただその関係の中に没入して楽しんでいるという感じ。

岡田

主観視点で観ていたということですか?

木村

主観視点でっていう感じですね。逆に言うと俯瞰的に見るという視点が僕にはあんまり無くて、そういう意味では素朴な青春時代だったのかなあと。

岡田

そうですね、「俯瞰するという発想がなかった」って、別の男性から似たような意見をもらったことあります。

木村

だから恋愛陶酔型の生き方もあれば腐女子型の生き方もある中で、これは僕を含め男性が今直面している一つの課題だと思うんです。岡田さんの男性の友達が「分かった!」と電話してきたという話もそうですが、腐女子的な女性がこういう風に自分の生き方というか、ものの見方みたいなことをいっぱいこちらに向けて語ってくれるのならば、それに対して、「付き合えねえな」と思っている場合じゃないんですよね。じゃあ「付き合える」んだとしたら何が必要かというと、客体として男性の身体を見るってことだと思うんです。男として僕は陶酔的に没入して生きていて、客体として男性を見る、特に男性のカラダを見るっていうことについてはあまり慣れてない。そこをどう自分の中で処理したら良いのか……(笑)

岡田

えっ、先生はダンス研究がご専門なのに…… 身体性、身体性!(笑)

木村

そうなんですよね。だから自分の問題としてはあんまり考えられてなかったんだと思います。

岡田

木村先生が男の人のカラダを見る、腐女子になったつもりで見てみる、みたいなことも課題だとは思うんですけど、木村先生ご自身が、一男子として自分のカラダを腐女子に「見つめられている」と思いながら捉え直すことが、すごく大事なわけですよ。

木村

これがねぇ……(笑)

岡田

で、それが男の人は中々出来ないよねっていう話で、これについては、二村ヒトシさんと金田淳子さんとの共著、『オトコのカラダはキモチいい』って本がまさにそのテーマなんですけれど。

木村

はい、さっき読んでました。

岡田

仮にちょっとステレオタイプな男の人が「腐女子キモい! 理解できない! 俺の彼女にするのはちょっとなぁ〜」と思っているとする。彼らはおそらく、自分のカラダに性的な価値があることに無自覚なまま生きてきた人なんですよね。男子という生き物には、多い。女性はと言うと、子供の頃から痴漢被害にあうとか、人前でパンツ見せちゃいけませんと怒られたりとか、あるいは胸が膨らんできたら、いやらしいから揺らすな、ちゃんとブラジャーを着けろとか言われてですね、更には初潮が来たら、生理というかたちで定期的に「女のカラダ」と向き合わなければいけない。なんで毎月毎月股の間から血が出て来るんだよ、なんであの子のおっぱい私より大きくて男子みんなそっち見てんだよ、みたいな理不尽と向き合う中で、自分のカラダはどういうものか、考えさせられるきっかけが多いんでしょうね。私という人格にどんな価値があるかには関係なく、私の身体そのものに、何か商品価値のようなものが付いていて、それを高めるべきだとか、むやみやたらと損ねてはいけないとか、周りの大人達から言われて育つ環境なんですよ。改めて言語化してみるとすごいと思わない? 女子が「パンツ見せちゃいけません!」と怒られる躾って、突き詰めていくとそうなんです。「嫁入り前の娘が、そんなことするな」みたいなフレーズもそう。誰か本当に価値を分かってくれるたった一人の相手のために、大事に取っておくものであると。山口百恵さんも歌ってたでしょ、「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ」って。もう二十歳の子達ポカンとしてますけど!(笑)

木村

「美学Ⅱ」(木村の本学での教養科目)でみんなやったでしょ!(笑)

岡田

あれは、山口百恵が自分の意思で「あげるわ」って言ったのがセンセーショナルだったわけですよね。それまでは男が選んで百恵の価値を奪う、手にする、だったのが、「捨ててもいい」って「売り」の姿勢を見せた。いずれにせよ、女性は自分のカラダに纏わり付いている性的な価値に無意識ではいられない。かたや男子は、意外と無自覚でいられるんですよね。

木村

でもまあ昨今のジャニーズ人気とか、女の子の眼差しがそういう風に男性を客体化していくという機運はあって、男の子もきっとそこに何かムズムズさせられているというか、意識を向けるよう促されてはいると思うんですよ。

岡田

そうだと思います。「ジャニーズの男の子達の裸は女子達の性欲を興奮させる」って枝野幸男さんが国会答弁してて…… 本の中にも引用しましたけど、もう、国会の記録に残ってる! あれは性的なものであると。

一同(笑)

岡田

ジャニーズだけでなく、雑誌『anan』のセックス特集とか、男性のヌードグラビアを女子達が夢中で買う、という現象もありますよね。まあ江戸時代から歌舞伎役者や力士の姿絵がブロマイド的に売れていたり、女子が男性アイドルにキャーキャー言う構図は昔からあった訳ですけど、そこにプラスして、「私達、もっと性的な目であなた達の事を見てるのよ」というのを隠さなくなった。こうなると大抵の男子は、エッてなる訳ですよ。この「エッ」てドン引きされた時に、正直こっちもびっくりするというか、「そういう目で見られていると、微塵も思ってなかったの、今まで?」って逆に驚くんです。

木村

僕ね、5年位前だったからまだあまりヒゲも白髪も無い頃ですけど、その頃に知り合った一年生の学生が私は腐女子だって話をしていて。あんまり具体的に言わないほうが良いと思うのだけど、私先生を見ていると、同じ文化学科の××先生とその……仲良いのを想像したりしますとか言われたわけ。

岡田

おお、ナマモノ萌えだー! 修羅の道ですよ。

木村

そうすると、比喩なのか比喩じゃないのかお尻の辺りがムズムズしてくるのね。今の笑って良いところですよ?(笑)それをどう捉えるかが僕なりにこの4、5年の問題だったのね。仮に僕をセクシーに見るってことだとして、ある種のファンタジーの中で僕が消費されるっていうことに慣れないし、ハラスメントされている気持ちにもなる。勿論、「それは女子も辿った道なんだからあんたも辿るべきよ」って言われた気になるのも、一つの受けとり方だと思うのだけど……。少し話を進めちゃうと、先程読んでいたんですよ「穴」の話を。

岡田

『オトコのカラダはキモチいい』ですね。

木村

はい。あれずーっと男のお尻の穴の話をしているんですけど、腐女子の人達は男の穴に興味があり、男の穴を愛し、男の穴の快楽を、例えば男性に提案してくれたりするのね。それはまさに客体として男に自分が目覚めさせられる良い機会になるし、男はそういう形で自分の快楽を広げることもできるし、主体的に男性器でセックスをするのとは違う形で自分はセックスが出来るんだっていう風に思うこともできて、すごく良いと思うんですよ。故に、そういう筋道の見えてくる話だといいなと思う。ファンタジーの中で消費される男性というよりは、リアルのセックスの中で開発されていく男性というか、ね。

岡田

そうなんですよね。男性向けのポルノって、性的価値の高いとされる女性、若い美少女が一方的に搾取される構造のものが非常に多い訳です。あれは男性達の男性達による性的ファンタジーなんですよ。で、そういうものばかり読んでいると女をモノのように扱う男ばかりが増える、と危惧する人もいるんですが、同じことは、女性から男性へ向けた眼差しについても言える。女性だって性欲があり性的な妄想を抱き、抱いたからにはそれを紙とインクで書き付けたりもしたいんだ、とオープンに物申す時代、女子大で腐女子がゼミのテーマになる時代なわけですが、そこで、私達女性が、ある種の男性向けAVを見て嫌だと思うのと同じように、男性も「嫌だ」って感じたりするはずなんです。だから、「木村先生と××先生がこうやって組んず解れつ絡み合うのがオナニーのオカズに最高です!」とか言う女生徒がいたら、セクハラ。もし同じ事を木村先生が女生徒に向けて言ったら、大変な事になるでしょ? そこは男女平等にセクハラです、配慮が必要です。読みたくもないエロ本を無理やりに読まされるみたいな、自分がされたら嫌なことは、他人にもしないこと。でも一方で、その女生徒の「木村先生にもっと腐女子の心情を知ってほしい、もっとわかりやすい例で伝えたい、木村先生自身にも関わることとして聞いてほしい」という想いについては、私もわかります。
なぜなら、本当に誤解されやすいから。たとえば、「あいつらは、男女の性的関係において欲求不満であるから、性欲を満たすためにBLを読んでいるんだ」ってよく分析されるんですけど、うーん、例えば素敵な彼氏や夫がいて、リアルの性生活がめちゃくちゃ充実して幸福だったとして、私たち腐女子がBL読まなくなるかっていうと、……読むよね(笑)。あとは、「私、腐女子なんですよ」って自己紹介すると、目の前の男二人が「えっやだ、じゃあ、俺とコイツでセックスの妄想してるの?キモい!」とか言い出す。おかしな話ですよね。彼ら男子は、道行く見知らぬ女性を全員、新生児から老婆まで、脳内で裸にしてもれなくセックス妄想してるんですかね? っていう。ゲイの人にすぐ「俺、襲われちゃうかも〜」とか言うノンケの男も多いでしょう。「私、メガネ萌えなんです~」って言ったら「俺のこと?」って返してくる眼鏡もウザい(笑)。「あたしにだって選ぶ権利あんのよ!」って怒っていいよね。なんで自己紹介に「性」が絡む話が入っただけで、ケダモノみたいな扱いを受けるのか。そこの誤解を解きたいという気持ちで、話し続けているんだと思います。
それで、たまに口だけじゃなくて、手も出てしまう(笑)。「みんながバイセクシャルになって、みんなが攻めになれば良い。そうしてみんなが受けになれば、男女両方共ハッピーになれるんじゃないだろうか」っていうのが『オトコのカラダはキモチいい』の結論部分ですね。

木村

セックスに関しては大賛成です。そういう方向で良いと思います。で、もう一つは、その腐女子的な感性をカムアウトし始めるっていうここ数年の動きって、要するにセックスとオナニーの話で、結婚してもなおBL読むっていうのは「セックスもするけどオナニーしないわけじゃなくて、それはそれでするわ」って話なんですよね。面白いのは「それはそれでするわ」ってことを、最近の女の人が結構積極的に言っているっていうこと。このことが面白い。男はオナニーするけど、それを敢えて言わないじゃないですか。だからそれを言うことの効果というか、言いたいって気持ちであるとか、「言わざるを得ない」までは言い過ぎかもしれないけれど「言いたくなる」感じっていうのが、この社会の中のある種の閉塞状況に繋がっているのだろうなと。

岡田

確かにそうだと思います。腐女子をキモがる男子には、こうやって『ドラえもん』の例なんか出して説明するのですが、たまに、それよりももっと前段階から説明しないといけない時がある。何かというと、「女にも、男と同じように、性欲がある」って所からなんですよ。童貞とか、そこからして分かってない(笑)。自分の欲望スイッチが入った時に目の前に女がいれば自動的にセックス出来るくらいにしか思ってない男が結構いてですね、いやいやこっちにだって性欲の波があり、今はそれがお前を拒んでいるんだよ、という断り方が通じない。逆に、私の性欲はこのように盛り上がるので、時には私にも男の乳首を攻めさせてくれ、と提案すると、心底びっくりされてしまう。特に大学生以下の若い男子には多いと思うので、皆さんお気をつけくださいね……。痛いのを我慢していたらいつの間にか幸せになれるんじゃと思いながら一方的なセックスに耐えるとか、不幸以外の何ものでもないですよ。なんで男はこんなに無自覚なんだって、女性はもっと憤っていい。でも、その怒りを男性全般への「攻撃」に向けるのではなくて、また山口百恵になっちゃいますけど「坊や、いったい何を教わってきたの」って。

木村

「プレイバックpart2」ですね。

岡田

そういう温かい目線で、彼氏なりパートナーを育てていくみたいな、そういう気持ちが女子には必要。

木村

もう大賛成。

岡田

なんで女ばっかりがそんな面倒な役割を負わされるのよ、そんなの真の男女平等じゃないわよ! って怒るフェミニストもいるでしょうけど、私はどちらかというと、もう仕方がないから、手取り足取り「私の性欲はこうです」と教えてあげる方が平和なんじゃないかなと思っています。

木村

学生のみんなと時々そういう話になる時には、「みんなは付き合った男子を育てることになるからね」と言っているんです。逆に言うと、最初から完璧100点の男性を求めていても、そんな男性は現れないし、表面上完璧100点に見えてもその人物の内側に入ると思いがけずすごい傲慢だったなんてことはいくらでもあるので、「申し訳ないけど育ててあげて」って言いたくなる、これが真実だと思うんです。

岡田

そうなんですよね。スーパーイケメンヒーローとか、二次元の中だけなので。三次元にそんな男性いませんから。今「私の彼がそうだもん!」って思っている子もいるかもしれないけど、残念ながらそんな事はない。あなたが不完全な存在であるように、相手も不完全な人間であるし、「100%理想の彼氏!」って思う相手がいたら、自分の認識の方が錯覚で、ズレてると思った方が良い。それ、恋に目が曇って今だけ100%や200%に見えてるだけだから。……なんて事を考える訓練にも、「俯瞰の視点」はいいですよ(笑)。

木村

でも本当そういう意味で、男の教育っていうのがすごい大事だなって。

岡田

そうなんですよ。女子大で男の教育について語る(笑)

木村

ここにいない人について話すみたいな(笑)

岡田

でもそれはそうです。どうして今、木村先生と対談形式で話しているかというと、さっきまでは腐女子とそうでない女子大生とワイワイ話してたんですけど、こうして異性が一人投入されるだけでも、物事が多角的にとらえられる、さっきとは違う視点からのお話も出来ると思ったからです。腐女子であろうとそうでなかろうと、自分の人生と肉体の女性性、もしくはセックスについて、女性は常に考えざるを得ない。頭に汗をかいて脳に汗をかいて考えるその横で、このテーマについて「箸より重いものを持ったことがない」みたいな姿勢の男子って、結構いるんですよ。それはもう、一人ずつ、腐女子は腐女子のやり方で、夢女子は夢女子のやり方で、教えていくしかない。

木村

だから本当にね、教育機会が与えられていないんですよ。で、一昨日田中康夫の『たまらなくアーベイン』って本を読んでいて、要するに1980年代頭くらいの大学生はどんなデートをしてきたかっていうことが音楽に絡めて書かれてある。当時は基本的に車デートなんで、カーステレオのカセットにどんな音楽が入っているのかっていうことをひも解きながら、その恋愛模様を語るんですけど、(学生に向けて)まあ要するに皆さんのお母さん、お父さんくらいの世代の話かもしれないんですけど。その世代はデートをしまくってるんだよね。で、その時に男の子がまず車を借りてきたり、持ってたりするんですよ。で、君たちの家の前に乗り付けて、車に入った瞬間どんな音楽から始まるといいのかをもう前の日から考えてカーステレオのテープにいろんな曲をいれて車でくるわけね。で、ちょうど30分くらい車を走らせたら、ベイブリッジあたりだろうっていう時にこういう音楽かかったらいいだろうなっていう、まあ失笑ものかもしれませんが、あのお台場デートの話でいうと……

岡田

だから私も、それをやられたわけですよね。90年代末に(笑)。

木村

でもそれは「妄想」かもしれないけれど、歓待の精神でもあるわけよ。こういう風に誘ってあげよう、こういう風に優しくしようって思っての結果なんだよ。さすがに暴走気味だなって思うところもあるけれど、そういう一種の教育を、つまりデートってこういうもんだぜ、女の子のためにカセットテープに曲を入れなきゃいけないんだぜっていう教育を当時は受けていた。少なくともそれぐらいのケアはするもんだっていう風潮があった世代が、僕よりちょっと上の世代。で、僕らはそれがデートマニュアル化して、赤坂プリンスに泊まるのがクリスマスデートの基本だみたいなことを、なんだかそういうことをするのもダサいなあと思いつつ、でもつまりそれくらい女の子のことをケアしなきゃって思わされていたんですよね。通り一遍だけど。でも、みんな世代はひょっとしたら、そういう風潮もなく、男性はどうしたらいいかわかんない。で、マグロ状態というか。

岡田

「ねえどこ行く?君の行きたいとこでいいよ」みたいな。

木村

君のことは全部好きだっていう。

岡田

「私のどこが好き?」「うん、全部!」みたいな。

木村

そういうところででも恋愛っていう、まあ自由に恋愛すればいいって言うべきかもしれないけど。でもあえて言えば、わからなくなったからって、恋愛を諦めないで欲しいな、と思うんですよ。

岡田

うーん、たぶんデートのおもてなし精神は、今も生きてると思うんです。高級フレンチではなく近くのファミレスだったりするかもしれないけど、相手を喜ばせたい気持ちは普遍なんじゃないかな。デートの日にはちょっとおめかしして出かけるとか、そうでないとちょっとがっかりするとかも、根っこは一緒だと思います。しかし「夜の営み」に関して言うと、そこがいつまで経ってもアップデートされない。例えば、今のドライブデートを性的なメタファーでとらえてみると、家の前に乗り付けられてきたところから、かかる音楽まで決まってて、コースも決まってて、最終的にどこに行くかのハンドルもずっと男が握ってる。「そんなセックス、冗談じゃない」と私などは思ったりする。「たまには私が運転手するよ」「次は私の行きたいとこ付き合ってよ」って言いたいじゃないですか。まぁこれは、「じゃあお前もお台場デートプランをバカにしないで、一緒に楽しんであげろよ」というブーメランとして自分に戻って来るのですが(笑)。もうちょっとフレキシブルな方がいいですよね。
80年代、ドライブデートがなぜそんなに小説の題材に描かれていたかというと、当時はそれが非常に上手くいったんでしょう。男の子は額に汗してカセットを作り、女の子はマグロ状態、でもどのクルマに乗り込むかは好きに選べる。うまれもった性別で役割期待が決まる、平安時代の「文」とかと一緒ですよ。でも願わくは、これから先の世界においては、たまには女性がハンドルを握れるような。彼が想像もしていなかった全然別のテクニックで男性を攻めてみたり、みたいなことが、もうちょっと起こるといいのにな、って思うんですけど。『ローマの休日』のベスパのシーンみたいにね。女子大生の意識が変われば男子も変わりますよ、大人になると本当に凝り固まってしまうので、あれよ、30過ぎた男を教育するのは本当に大変だから、できれば若いうち、鉄は熱いうちに打てじゃないですけど、なんなら年下男子を捕まえてきて、お姉さんとして手ほどきしてあげてください。世に柔軟性の高い男性が増えるといいなあと思ってます。

木村

自分のことを振り返ると20代の恋愛とかはずっと彼女から怒られてたなあと思いますね。

岡田

それはすてきなパートナーですよ!

木村

だから本当に感謝してるんですよ。いろいろ教わった。本当に、そういう機会を経たから、こういう場でいろいろ話ができるんだろうなあと。そういう異性から怒られる機会なかったら、思考は凝り固まりますよ。

岡田

30まで上手いこといっていたら、そのままいこうと思いますからね。

木村

そういう意味でイケメンは注意だよ(笑)

岡田

「イケメンは話がつまらない法則」っていうのがありますね。イケメンはね、顔で世の中を渡っていけるので、中身が面白い必要ないわけです、そこ努力しないわけです。顔が好みで身長が釣り合って話が面白くって洋服やご飯の趣味も合う彼がいい、って思ってても、実際どっか切り捨てていいかないといけないですからね。もし面食いだったら他を諦める覚悟で。私は、顔はちょっとアレでも話が面白い人をとります。

木村

そういう意味ではたくさん恋愛した方がいいですよね。

岡田

「物は試し」で付き合ってみるっていうのは、そういう意味では、いいのかもしれないですよ。地球のどこかにめちゃめちゃ話の面白いイケメンで紫の長髪でまつげバシバシで顎の尖った石油王がいて、私に壁ドンしてくれるかも……って思っている人、いる? いや、夢を追うのは止めないですけどね!

木村

二次元の方で妄想してる方がまだクールなんですよね。三次元でそれをやってるとさっきの岡田准一みたいな。

岡田

だって別に跡部様(テニスの王子様のキャラ)大好きだけど夫は夫で好き、という乳飲み子抱えた主婦とかざらにいますからね。二次元に没入したオタク脳でも、だからこそ、そこは区別すると私は思うけどなあ。さっき何度も何度も出た「男性は腐女子を気持ち悪いと思うんじゃないか」「腐女子趣味のままだと男の人全般にモテなくなるんじゃないか」という不安への回答も、ここにつながりますよ。なんで男性が腐女子をキモイと思ったり、趣味に邁進して自分の好きなことにバリバリ夢中になっている女子を「ちょっと嫌だな」と見ていたり、「俺の恋愛対象から外そう」と思うかというと、やっぱり、彼らが無自覚。馬鹿とは言わないけど、「女の子は僕の趣味に付き合ってくれるもんだろう」と思い込んでいたりする。こういう独りよがりの男は、たとえば自分より映画に詳しい女をすごく嫌う。「映画とか全然しらな~い。オススメ教えてくださ~い」とかいう女子の方が映画オタクにはモテるでしょうね。そういう人の前で「この監督はデビュー作から全部見ててDVD特典のオーディオコメンタリーのどこで何言って笑うか全部暗記してるんですよ〜」みたいなオタクトークすると、たぶん超モテない。でも、もうモテなくていいんじゃないの? っていう気もしてくる。もし、こうした映画オタク男子たちが、自分よりも弱い立場、低い立場にある子を選んでオススメ映画デートに連れて行くってことだとしたら、私たちもう、彼らにモテずに家でDVD鑑賞会やってた方が、ずっと楽しいんじゃないか?

木村

僕が言った車デートみたいな話、ネガティブな岡田さんの解釈でいうと、まさにそういう感じで、「あんたはここに乗ってなさい、助手席で僕の話を聞いていればいいんだ」と相手を縛るコミュニケーションしかできてないってことにもなるかも。そういう男性といくらコミュニケーションとろうとしても、コミュニケーションにならないから、じゃあみんなで腐女子の会していた方がずっといいよね、って話になるっていう。

岡田

例えばカラオケに行くと、みんなで盛り上がれる曲ばかり入れて歌う人と、いつでもどこでもひたすら自分の新曲だけ練習してる人と、いたりするじゃないですか。みんなで来てワイワイやってるのにお前だけ延々そのビジュアル系バンドの曲か、っていう。でも、そこで「お前もこの空気を読んで、みんながわかる曲、歌えよ」と強制するのも変だし、なんだか窮屈ですよね。それに、親友同士だったりすると、「お前また一人で練習かー」って笑いながらも、あんまり苦にならないでしょ? うまく言えませんけど、この「親友」に相当するような恋人やパートナーだといいですよね。「あいつはしょうがないな」っていう。それに、私がハンドル握りたい、っていうのと同じくらい、私は助手席に乗って彼氏の運転を眺めていたいんだ、っていう女子もいるはずで。

木村

そうですよね。そういう恋愛を否定する必要はないですよね。

岡田

筋肉少女帯に『香菜、頭をよくしてあげよう』っていう曲があるんですけど、あれはあれで当事者同士はアリなんですよ。たとえが古くてすみません、詳しくはググってください(笑)。要するに私、「みんなが私みたいな考え方になればいいんだ」って思って、皆さんを洗脳しに来ているわけではないんです。でも、神経がしなやかな、柔軟性の高い人が増えると、みんなが生きやすいんではないか。思い思いの歌を好きに歌って、誰も何かに気兼ねせずに済む、親友同士で行くカラオケのまったり感みたいな、素敵な未来が訪れるんじゃないか。そうなったら、その世界では、腐女子はわりとモテるのではないか!? と、私は信じているんですけど。

木村

だからモテるって時にこういう別の読み方を解釈が出来るそういう楽しさを与えてくれる人っていう話もあるし、さっきのことにもう一回戻しちゃうと、性についての知識だったり感性だったりが開発されている腐女子さんが、パートナーをナビゲーションするっていう話にもなるのかなあと。

岡田

そうなんですよ。問題は、これが行き過ぎちゃうと今度、腐女子がハンドルを握り、男子を助手席に乗せたまま、すごい爆走するみたいなことになる。単なる逆転になってしまう。女性差別に反対していたはずが自分が男性差別やハラスメントをしていた、となりかねないので、そこはアクセルと同じくらいブレーキも上手く使わないといけないですよね。やっぱり腐女子は行き過ぎちゃうから。「え、あたしハンドル握っていいんすか? じゃあ行っていいっすか?」みたいな感じで、周囲を振り落としちゃうから。まあ、さっきどなたかがおっしゃっていたように、自分の腐女子性と彼氏と過ごす時間みたいなものを上手く両立できないのではないかと心配になるというのはたぶんそういう、「私、このままハンドル握って自分の人生全部これで行っちゃうと、助手席の人を振り落してしまうんではないかと心配で……」みたいなことですよね。彼氏がいない腐女子は彼氏が出来ないことを悩んでるかもしれないけれど、彼氏が出来たら出来たで悩みは尽きない。でも、そこは一人で悩んでないで、助手席のパートナーに「ついてこれてる?」って逐一確認するのがいいんじゃないかと思います。

木村

ちょっと話のオチを考えたんですけど、『人のセックスを笑うな』っていう小説があると思うんですけど、それは今日の話にもひとつ『人のオナニーを笑うな』みたいな。だからそういうセックスについても多様かもしれないし、オナニーについてもいろんな可能性があるということを互いの性が許容していくみたいなことを、どれくらいできるのか、しかも相手を傷つけずにっていうか。そこが大げさにいうと性革命っていうか、もうちょっと幸せになれるベクトルなのかなと今日は聞いてて思いました。

岡田

『牧神の午後』に戻りますと、みんなで他人のオナニーをガン見するっていうのが、あの劇場体験なわけで。笑う人とか、怒って席を立つ人もいるんですけど、ガン見しながら向き合って考える、でいいと思います、21世紀は。

木村

でも僕があれを取り上げて、ダンスの作家たちとも一緒に考えようと思って取り上げたんですけど、やっぱり時代がセックスよりオナニーになっていて、つまり人と人とが関わりを持たなくなり、一人で遊べればそれでいいじゃないか、コミュニケーションで苦労するよりは一人で幸せじゃないかっていう時代になってる現状を、良いか悪いかは一回置いといて、芸術家たちアーティストたちと考えたいなあと思ったんですよ。だからデュオで踊る、パ・ド・ドゥみたいなダンスをセックスだとすると、そういうものはいろいろある一方で、芸術におけるオナニズムっていうのも、考えてみたら、結構芸術ってそういうものばかりだって言えるかもしれない。自覚的に反省的に芸術のなかにオナニズムを持ち込むということを百年前の振付家がしたとして、じゃあ百年後の僕たちはそれを今日の表現としてどういう風に捉え返せるかっていう。そういう風にして「オナニズム」について考える場にしたいなと考えたんです。

岡田

しつこいようですが「みんなでオナニーをみてる」ってすごい体験だなあと思っていて。たとえば小説に、僕はああしてこうして果てた、みたいなオナニー描写があっても、割と冷静に向き合えますよね。読み手と書き手の一対一のサシ勝負なので、没入するにせよメタでみるにせよ、土俵に立てる。『牧神の午後』がすごいのは、みんなで一人のオナニーをみるっていう。1912年の劇場で何が起こっていたのか、そういう目で想像してみると結構すごい。

木村

だから、誰かがさっき指摘してくれるかなーと思ったんだけど、それはやっぱりニコ生とかを見てるんじゃなくて、劇場で隣の客と肩を並べてみてるってことの衝撃、気恥ずかしさみたいな。

岡田

そうですよね! 舞台も見てるんだけど、隣の席の反応も気になる、っていう(笑)。隣の人はカンカンに怒ってるけど、私はむしろムラムラするわ、って密かに大興奮してる人がいて、そのさらに隣はずっと目を覆ってる、みたいな状態だったと思うんですよね。ニジンスキーの狙いがそこにあったのかどうか、彼自身のオナニズムの発露か否か、みたいなところが不明なのも面白くて。公私共にパートナーだったディアギレフから「いいよ!ガンガンいけよニジンスキー!」って煽られた結果のあの過激な振付なのかなとか…… 演出家同士の関係性もあり、公然の秘密の中から生まれた二人の表現を、どうやって一般大衆に見せつけてやるか、という結果の性的な描写なのかもしれないし、若者がすごいやんちゃな振り付けしたら劇場側の問題に発展しちゃったという、バンドマンの尻拭いさせられるライブハウスみたいな顛末だったのかもしれないし(笑)。ネットで観られるのは舞台上のコンテンツを追った映像ですが、画面の外、「社会」にどう受け入れられたのか、そこを想像しながら観るのが面白いと思います。

木村

今日は、たくさんのお話が聞けて幸せでした。ありがとうございました。

2018.10.18
超連結クリエイション
第5回「超連結クリエイション」の アーカイヴ
2018.01.10
超連結クリエイション vol. 5
サバイバー/媒介者/誘惑者/観察者を作るワークショップ
2018年1月28日(日)12:00- @京都造形芸術大学studio21
2017.11.20
超連結クリエイション vol. 5 in Tokyo
サバイバー/媒介者/誘惑者を作るためのトーク&ワークショップ
2017.06.13
第5回連結クリエイション関連企画
7/7 - 7/8、7/9
「未来のワークショップを創作する」ための研究会[参加者募集!!]
2017.05.29
連結クリエイション
手塚夏子の三夜 アーカイヴ
2017.05.26
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第4回「超連結クリエイション」のアーカイヴ
2017.05.24
連結クリエイション
古後奈緒子「BONUSで考えたこと」
第3回「超連結クリエイション」
2016.12.16
連結クリエイション
「秘密のダンスは何処にある?」WSのアーカイヴ
超連結クリエイション vol. 4
テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)
2017年1月18日(水)19:30
@ 東京工業大学 西9号館ディジタル多目的ホール
2016.12.12
連結クリエイション
石谷治寛「障害とダンス」
第3回「超連結クリエイション」
2016.12.12
超連結クリエイション
第3回「超連結クリエイション」のアーカイヴ
2016.10.07
連結クリエイション
テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)関連企画
10/28、10/29
継承の「媒体」としての身体/動画をめぐって
砂連尾理トーク&ワークショップ・イン・トーキョー
2016.09.29
連結クリエイション
テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)関連企画
11/8、11/13
秘密のダンスは何処にある?
2016.08.24
連結クリエイション 第4回のテーマ
テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)
2016.08.23
連結クリエイション
テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)関連企画
9/12、9/13、10/12
手塚夏子の三夜 「トレース」をめぐって
2016.06.17
連結クリエイション
第2回「超連結クリエイション」のアーカイヴ
2016.05.08
連結クリエイション
新井祥さんに学生たちが聞いた「性愛と表現」とくにLGBTのこと
2016.03.19
連結クリエイション
岡田育さんに学生たちが聞いた「性愛と表現」とくにBLのこと (2)
2016.03.19
連結クリエイション
岡田育さんに学生たちが聞いた「性愛と表現」とくにBLのこと (1)
第3回 超連結クリエイション
2016年1月24日(日)17:00 @ 京都芸術劇場studio21
参加メンバー:塚原悠也 野上絹代 砂連尾理
ゲスト:熊谷晋一郎 石谷治寛 古後奈緒子 伊藤亜紗(司会:木村覚)
2015.11.02
連結クリエイション
捩子ぴじん×木村覚 メール書簡
2015.11.02
連結クリエイション
市原佐都子さんが飴屋法水さんに動物の性の営みについてきいたときのこと
第2回 超連結クリエイション 牧神の午後編
2015年12月16日(水)19:30 @ VACANT
参加メンバー:捩子ぴじん 市原佐都子 高田冬彦
ゲスト:会田誠 飴屋法水 Aokid 山内祥太
2015.10.01
連結クリエイション
BONUS ダンス演習室 第3回 まとめ
2015.10.01
連結クリエイション
高田冬彦×木村覚 (3) スカイプ対談
第3回連結クリエイション
障害者との共生:障害者とともにダンスは進化する
連結クリエイション
市原佐都子×木村覚 メール書簡
QへのQえすちょん (2) 雑交性
連結クリエイション
高田冬彦×木村覚 (2) メール書簡
連結クリエイション
BONUS ダンス演習室 第1回 まとめ
連結クリエイション
リローデッド「即興二番」
Part 2(2日目:2011/06/04)室伏鴻×大谷能生×木村覚
連結クリエイション
リローデッド「即興二番」
Part 1(1日目:2011/06/03)室伏鴻×大谷能生×木村覚
連結クリエイション
市原佐都子×木村覚 メール書簡
QへのQえすちょん (1) 侵入の感覚
連結クリエイション
高田冬彦×木村覚 (1) メール書簡
BONUS ダンス演習室
BONUS Dance Laboratory: BDL
篠田千明、大谷能生、捩子ぴじん、木村覚、Aokid、望月美里
第2回連結クリエイション 公募企画
りみっくす・おぶ・ふぉーん
連結クリエイション 第2回のテーマ
ニジンスキー『牧神の午後』を解釈して映像のダンスを制作してください
連結クリエイション
第1回「超連結クリエイション」のアーカイヴ
超連結クリエイション
2014年12月10日(水)19:00 @ スーパー・デラックス
Aokid+たかくらかずき 岡田智代 小林耕平 宇治野宗輝
真鍋大度 平倉圭 木村覚
連結クリエイション 岡田智代
雨娘
連結クリエイション 宇治野宗輝
VEHICLE figure test drive: IN THE RAIN
連結クリエイション 小林耕平
神村・福留・小林・雨に唄えば
連結クリエイション
岡田智代(チームよーとも)制作記
(2) 振り付けの伝授
連結クリエイション
小林耕平・神村恵・福留麻里・木村覚 チャット・ミーティング
連結クリエイション
Aokid×木村覚 メール書簡
2014/8/17 - 8/24
連結クリエイション
岡田智代(チームよーとも)制作記
(1) 振り付けとものまね
連結クリエイション
宇治野宗輝×木村覚 メール書簡
2014/8/1 - 8/4
連結クリエイション
小林耕平×木村覚 メール書簡
(2) 2014/7/31 - 8/2
連結クリエイション
小林耕平×木村覚 メール書簡
(1) 2014/6/30 - 7/8
連結クリエイション 第1回のテーマ
『雨に唄えば』のあの場面を解釈して映像のダンスを制作してください
連結クリエイション
連結クリエイションとは